野田 みんなが最初からそうできるわけじゃなくて、準備してきた質問原稿を読む若手の子もいるから、それを基準にすればいいんじゃないかな。質問で、「何とかについてお尋ねします」「何とかについて、こういうふうに言われてますが、どうでしょうか」ってひとつひとつ淡々と。大臣が答えると、「では次の質問です」って。でも、そこから始まるんだよ。

岐阜のおじさんたちの
巧みな誘導で政治の世界へ

辻元 酒井なつみさん(編集部注/1986年生まれ。旧立憲民主党→立憲民主党→無所属→立憲民主党・衆議院議員)とかもね、地方議員だったっていうこともあるけれども、やっぱりがんサバイバーの当事者として、自分の言葉でみんなの思いを代弁していくっていうことが大事って思わせてくれた。

野田 当事者の声は刺さる。

辻元 言い方の上手い下手とか、そういうことじゃない。だから私は、いろんな人にチャレンジして欲しい。その環境をつくるために頑張るよ。だって、私なんかも自分が国会議員になるなんて、夢にも思わなかった。本当に。奈良県吉野郡大淀町っていう山奥に生まれて、子ども時代はそこで過ごして、家も経済的にしんどかったし、大学に行った人なんか見たことなかった。家に本は1冊もないし。それでもやれているから。

長野 野田さんはサラブレッドのイメージがあります(注3)。

野田 政治家一家あるあるで、もうお父さんのことが大好きで世襲する人と、大っ嫌いになって政治と関わらない人がいるんだよね。うちの父は嫌いになったほうで、もう政治と子どもを切り離したいっていう人だった。私は田園調布雙葉の中高に行って、全く政治と無縁な上智大学に行ったけど、世間知らずだったから。岐阜のおじさんたちの巧みな誘導によって政治の世界へ……。

辻元 正直、私はね、土井たか子さんに誘われて「魔が差した」(笑)。

長野 誘導されるか、魔が差さないと政治家にならない(笑)。

野田 あと、金儲けで、政治家をやってるんだろって言われることもあるけれど、それはないなって、本当に思う。

辻元 それだけはない。

(注3)野田聖子氏の祖父・野田卯一は建設大臣、経済企画庁長官などを歴任した元参・衆議院議員。