同じことが1941年の日本にも言える。当時日中戦争は5年目に突入しており、日本は多大な人的犠牲を被り、かつ莫大な戦費を使っていた。もしここでアメリカと敵対せず和平交渉をするなら、中国から手を引かなければならない。今まで払った莫大なコストが「台無し」になる。そんなことを自らの責任で提案し、実行し、国民に発表するなど、誰もやりたくはない。

『シミュレーション』において、総理大臣の東條英機(演:佐藤浩市)は当初、平和を希望する昭和天皇(演:松田龍平)の意思に沿おうとしていた。しかし陸軍の若手から「腰抜け」「裏切り者」「無責任」と陰で言われていることを気に病み、結局は軍部や世間の「空気」に屈する形で、引くに引けない状況の中で開戦を決断した(というニュアンスでドラマは描かれる)。

 責任者不在のまま、空気によってなされる意思決定。あくまでドラマ上での描き方ではあるが、太平洋戦争は壮大な「責任者不在」の中ではじまり、そして悲劇的な結末を迎えたとも解釈できる。

「空気」に逆らうと赤紙が来る

「空気」に抵抗するのは、いつの時代も難しい。

 広陵高校が2回戦の出場辞退を発表した後の保護者説明会では、保護者から何ひとつ質問が出なかったという。当然だ。会では質問の際に息子のポジションと名前を言う必要があった。

 学校に目をつけられれば、監督から不当な扱いを受けるかもしれない。プロ野球や社会人野球を目指す選手ともなれば、それだけで将来の見通しは暗くなる。高校野球の名門・広陵高校に野球をやるために進学するような選手は、今までの人生の大半を野球に費やしてきたはずだ。その労力がすべて無駄になるようなことを、保護者がするわけがない。「空気」を読んで質問しなかったのだ。

『シミュレーション〜』では、もっとも強く開戦反対を叫んでいた総力戦研究所のメンバーに赤紙が届く、というシーンがあった。広陵高校の保護者たちも恐れていたのかもしれない。赤紙という名の何かを。

 この国では、「空気」を乱すと恐ろしい罰が下るのだ。戦時中はもちろん、今もどこかで。