戦国最強・上杉謙信の意外な弱点…唯一勝てなかった“誘惑”とは?
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※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

越後の龍、戦国最強の誉れ
戦国時代に越後を支配していた上杉謙信は、「戦国最強の武将」といわれ、当時の多くの戦国大名から恐れられていました。
5度にわたり川中島の戦いを行い、謙信に勝てなかった武田信玄は北に進むことを諦め、太平洋側の南に進むこととなりました。
また、謙信は関東地方の北条氏康(1515~71年)を攻めたり、晩年には織田信長と戦い、手取川の戦いで織田軍に完勝したりしています。とにかく謙信は強かったのです。
毘沙門天の化身、ストイックな日常
そんな戦国最強の謙信の日常は、非常にストイックなものでした。
もともと子ども時代に禅寺で修行していたこともあり、日ごろから居城内にある仏像・毘沙天が置かれた建物にこもって坐禅を組み、瞑想をしていました。
毘沙門天は戦いの神であり、謙信は自分のことを「毘沙門天の生まれ変わり」だと言いました。
質素を極めた食と、兵士を鼓舞する「かちどき飯」
日常の食事は、副食として汁もの1品と惣菜1品だけの「一汁一菜」と、とても質素でした。ただし、ひとたび出陣となれば、山のように米を炊き、兵士たちに山海の幸をふんだんに振る舞ったといいます。
勝利を祈って豪勢な食事が振る舞われたことから、謙信の「かちどき飯」と呼ばれています(これは現在も新潟県で食べることができます)。
最強の武将が唯一愛した“誘惑”
また、謙信は生涯未婚で独身を貫いています。跡継ぎとなった上杉景勝(1555~1623年)をはじめ、子は何人もいましたが、すべて養子だったのです。私生活でも、女性の影が見えてきません。
このように謙信は、とにかくストイックで、まさに毘沙門天の化身のように戦のことだけ考え、戦に勝ち続けたように思えてなりません。ただし1つだけ、謙信をもってしても“勝てない誘惑”がありました。それは酒です。
とにかく大酒飲みだったのです。友人でもあった近衛前久(1536~1612年)の書状には、「朝から飲むのがたびたび」とあり、戦場でも馬の上で酒を飲むほどだったのです。