新しい物差しを
自分の中に構築していくこと

 これがかっこいい、これが素敵なことという軸がはっきりしている人ほど、その物差しからずれ始めると苦しみが生じてしまう。別の素晴らしさを自分の中に構築していくことが大切ですよね。

 例えば私は、小学生に体育の授業を行うことがライフワークなのですが、当然今の小学生は私の現役時代なんて知りません。以前はまだお父さん、お母さんがご存じだったのですが、最近は親御さん世代にも認知されていない。

「オリンピアン(オリンピックにおける日本代表選手)が来るぞ!」から、ただの「ハードルおじさんが来る」になっていくわけです(笑)。でも自分がそれを受け入れ、違う生きがいを感じていけばいい。

 体育の授業にフォーカスするというのは「スポーツが好きじゃない子にも教える」こと。そこに力を注ぐアスリートってあまりいないんです。だからこれもひとつの新しい経験ですし、少しずつ次世代の選手につないでいけたらと思います。

 またネットによって「ニッチ」(小さいマーケット)がたくさん生まれました。かつてのようなテレビに出ている人が国民的スターというわけでもなく、息子がすごいと思うYouTuberを私は知らないですし、私が見ているものも息子にはわからない。世代や趣味嗜好(しこう)によって「これがいい」というものが異なり、多様になりました。

 つまりビジネスをやる以上、他者評価は欠かせず、お客さんを喜ばせなければなりませんが、自分が若い頃に素晴らしいと感じていた以外のマーケットもあるということです。

人生終盤にかけて
分かれる2つの道

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 為末さんは、ビジネスでピークを過ぎた後だけでなく、人生終盤にかけても二つの道があると考えている。
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 人生終盤は「何かを獲得して何者かになっていくか」「自我を無くしていくか」の二つの道があると思うんです。自己啓発の書籍も、だいたいこの二つのパターンに分かれるのではないでしょうか。どちらを選ぶかは個々の好み。

 私は自我を消していき、削ぎ落としていって空っぽになっていくというか、実は中身は何もありませんでしたというほうが好きで、そういう風になりたいなと思っています。

 例えば自分が軽んじられた時に腹が立つのは、自分があるから。若い頃は軽んじられると嫌だから、“重たい自分”と思われたくて頑張るというところが少なからずありました。それもひとつの道です。

 でも、年を取ると周囲の自分に対する扱いも、自分自身の置かれた環境に対する捉え方も難しくなっていく。その時に自我が消えていけば、何があっても「いいですよ」と穏やかに柔軟な対応できるし、大げさかもしれないですが何者にもなれる。