社員の尿も無駄にしない!
他にも逸話(近岡裕「スズキ競争力の原点 鈴木修“新社長”時代に見た「ケチ」の極意」日経クロステック、2021年8月26日) があった。
当時、スズキの工場の男性用トイレには、水洗を止めた便器の下にポリタンクが置かれていたという。社員の尿を集めて製薬会社に売り、しかもその会社に清掃までやらせていたというのである。
捨てればただの廃棄物を売って収益に変え、掃除費用まで浮かせる。徹底した無駄排除の姿勢がここにも表れていた。
こうした鈴木修のドケチ道は、軽自動車「アルト」の誕生に直結した。1979年、社長に就任した直後に発売された初代アルトは47万円という衝撃的な低価格で市場に投入された。当時の軽自動車は60万円台が当たり前だったから、安さに誰もが耳を疑った。
秘密は徹底したコスト削減にあった。
ヒーター以外はオプション扱い、後部座席にはベニヤ板を使い、見えない部分では部品を共通化した。無駄をとことん削り落とし、最低限の機能だけに絞り込んだ。結果、製造原価は35万円に抑えられた。
価格が安いからこそ人々の暮らしにすぐに入り込み、アルトは大ヒットとなった。
「あると便利」という語呂合わせまで考え、宣伝に利用した。小さな遊び心すらも、商品をより多く売るための工夫に変えていた。スズキはこの成功で軽自動車市場のトップに躍り出て、ワゴンRなど後のヒット車種につながっていく。
鈴木修の言うケチは単なる倹約ではない。無駄を省いて得た余力を、必要なところには思い切って投じた。取引先や顧客をもてなすためには、浜松の高級ホテル最上階を借り切ることもした。そこで契約をまとめ、会社を大きくするためには出費を惜しまなかった。
要は「使うべきカネ」と「守るべきカネ」を徹底的に分けるという哲学だった。
そんな鈴木氏は、経営の現場で「数字の人」と呼ばれていた。
社員に常に問いかけたのは「それはいくらか」「何円か」という一点だった。漠然とした説明は一切許さず、必ず金額に置き換えさせた。彼にとって経営とは数字の積み上げにすぎず、情緒的な表現や抽象的な理屈を嫌ったのだ。