町工場で人気だったのは焼き芋みたいな大学芋

大学芋

――工場でどんなおやつ食べてるのかって聞いてたんですが、現代表の孝一さんに教えてもらったのは、「おいもやさん興伸」の大学芋っていうんですね。「キン消し」を作ってる当時から人気でした?

孝一 これは最近ですね。浅草にお店があるんです。浅草方面に行くことがよくあるんですけど、ちょっと時間あったら帰りに買って帰るみたいな。

――親戚の会社って感じなんですか

孝一 今は私のいとこがやってましてね。

大学芋

――あ、すごい。おいしいですね。中の芋が焼き芋の甘いやつみたいな感じですね。それをさらに大学芋にしてるんだ。すごいなあ。

孝一 おいしいですよね?色んな種類あったりして人気なんですよね。20年以上はありますね。

――浅草とか蔵前にはおもちゃのメーカーも卸もたくさんありますよね。そもそもなんでバンダイさんの仕事をやるようになったんですか?

先代 最初はこういう成形屋のきっかけっていうのは、ボーリング。おもちゃのボーリングが初めなの。日本で最も子どもが多かった頃に人気だったおもちゃを作っていたのは小さな町工場たち。

 ちょっとした休憩は穏やかに続きます。

 日本でもっとも子どもが多かった頃に人気だったおもちゃを作っていたのは小さな町工場たち。それもいくつもが分担して、大工場が作るような数を24時間フル稼働で、正月以外も休まずに、車に轢かれても作っていたのでした。

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