先ほどお話ししたように、わが家は貧乏生活が長かったので、借金の怖さを知っていますからね。これも母の教訓ですけど、住宅ローンが滞れば家を取り上げられるから、借金はするものではないとよく言っていました。仮に電気、水道、ガスの料金は滞納したとしても、住宅ローンの返済だけは絶対に遅れないようにと決めていました。
僕の奨学金は2万ドルほどでしたが、約2年で完済しました。本当は10年くらいで返せばいいことになっていましたが、とにかく早く返したかった。僕が来日した93年当時は、超円高で1ドル=100〜110円台だったので、非常に運もよかったです。
現在の2万ドルだと約300万円ですが、当時は200万円ぐらいだったので、約2年で返済できたんですよね。
奨学金を完済できたら、その返済分のおカネが浮くわけです。それを生活水準のアップには使わずに、生活はそのままにして、投資に回し始めたのです。
――ある程度の貯金ができてから投資を始めたのですか。
投資を始めたとき、貯金は10万円ぐらいでした。僕は自著などで、資産運用のベースとして「エマージェンシー資金」(普通預金)をつくるようにと言っていますが、当時はほとんどなかったです。
20代で元気だし、独身だから扶養家族もいない。自炊も得意です。生活費を最低限に抑える自信がありました。
最悪、英会話学校をクビになったら、さっと飛行機に乗ってアメリカの実家に帰り、近所の道路工事のアルバイトでもすればいいやくらいに思っていました。
パックンは没落を恐れない
その理由が胸にブッ刺さる
――道路工事ですか。家庭教師とかではなく、肉体労働をすると……。
そうです。もちろん家庭教師でもいいのですが、僕は高校時代に道路工事のバイトをしていましたから経験があります。
とにかく家が貧乏だったので、小学生の頃から高校卒業まで8年間毎朝、新聞配達をし、そのほかにも雪かきや草刈りなどの短期の肉体労働をたくさんしました。
その1つに道路工事もあり、ショベルカーやフォークリフトの操縦を高校生のときに覚えました。重機の運転は得意なんです(笑)。