ある日、私たちでも「これはヤバイ……」と感じるレベルの英作文を書いてしまった者がおり、宮坂が本気でブチギレたことがあった。そして教壇を降りてそいつのところへ行き、胸ぐらを掴んで「あqwせdrftgyふじこlpmzcv!!!」と叫んだ。
何と言ったかはわからなかったが、その時掴まれた生徒の学ランのボタンがプチン!プチン!と2つ弾け飛んだ。私は思わず吹き出しそうだったが、絶対に笑ってはいけない空気だったので我慢していた。
宮坂もボタンが取れた音で我に返り、そのボタン2つを拾って返し「スマン」と小声でつぶやき、教壇に戻って授業を続けた。その後、授業を録音していた生徒のところにみんなで集まり、ボタンが「プチン!プチン!」と弾ける音を聞いて腹を抱えて笑った。
過激すぎる言動は
熱意の裏返しだった
彼の私塾ではそれどころではないほど過激な指導を行っているという噂もたくさん聞いたが(注/あくまでも噂です)、さすがに今は時代の流れに合わせてやり方も変えているだろう。
そもそも、宮坂は私が浪人した時に通っていた予備校でも授業を持っていたが、高校での姿と予備校での姿はほぼ別人と呼べるほど違うものだった。
彼が型破りな人間であることは間違いないが、当時から暴れ度合いをTPOに合わせて調節していたのだ。おそらくほとんどの受験生は予備校での宮坂や彼の書いた参考書しか知らず、それで宮坂のイメージを形づくっているものと思われるが、私が二十数年前に高校で見た宮坂は(言えないこともあるものの)それらのイメージをはるかに凌駕するものだった、ということは伝えておきたい。
それだけ大暴れして恐怖政治を敷いていた宮坂だったが、私たちの中で彼のことを嫌っている人間は――少なくとも私の知る限りでは――1人もいなかった。
彼が日本の英語教育を何とかしたいと本気で思っていることは間違いなかったし、私たちの学力を真剣に引き上げたいと思っていることも痛いほど伝わってきた。