ゲジゲジ以下の生徒が
大量に生まれることに

 そう、進学校の生徒というのはケンカが強い代わりに筆記試験が強い、精神的ヤンキーなのである。そうした荒くれ者どもをまとめるには、それなりの剛腕が必要になってくる。その点、宮坂はヤンキーをまとめるための抜群の腕とカリスマ性を兼ね備えていたのだ。

書影『学歴狂の詩』学歴狂の詩』(佐川恭一、集英社)

 しかし残念なことに、私たちのクラス52名は全体的に出来が悪かった。センター試験後、英語180点以下を人間でなくゲジゲジと呼んでいた宮坂は、教室のお通夜のような空気を察してか「180……いや、160点なかった奴は立て!!」とハードルを下げて言った。

 それでもかなりの生徒が立ち上がり、宮坂は「何しとんジャーッ!!」と言いながら順に生徒の頭を両手でひっつかみ、激しくシェイクしていった。しかし宮坂は途中で「もうええ、座れ」と言ってシェイク攻撃をやめ、教壇に戻って語り出した。

「お前ら、センターで完全に終わったと思ってるかもわからん。確かにセンターは大事や、でもたかがセンターや。2次までまだ時間もある。そもそも、俺はお前らが2次で点取れるように本物の英語を教えてきたつもりや。センター失敗から逆転した先輩も山ほど見てきた。ええか、今から死ぬ気でやれ。絶対にあきらめんな。試験前も試験中も、最後まで1分1秒たりとも妥協すんな。こんな受験なんか軽くクリアして、アジアの上に立つ人間になれ!!わかったな!!」

 そして宮坂はチョークで黒板に、いつも私たちに口酸っぱくして言っていた言葉を書きつけて教室を出て行った。

「まあええか その一言で あと1年」

 しかし宮坂の激励もむなしく、私たちのクラスは最終的に現役東大1名、現役京大2名、現役国公立医学部ゼロ、浪人四十余名という史上最悪の結果を叩き出すことになる。

 そして浪人したクラスメイトたちは駿台や河合塾、代ゼミや関西文理学院(2010年閉校)へと飛び散り、互いの無事を模試の成績優秀者欄で確認し合いながら延長戦に挑むことになった。結果から言えば一浪でかなりの割合の人間が第一志望に合格したのだが、少なくとも私にとって、合格するかどうかわからない不安とともに過ごした一年はつらいものだった。だが、あの高校の小さな教室で受けた宮坂の授業を超える負荷が自分にかかったことは、浪人中にはなかったかもしれない。

 現在、宮坂は私の出身高校で授業を持っていないらしいが、ぜひまたあの強烈な授業を、予備校より羽目が外せる高校の教室でも展開してもらいたいところである。