中流・富裕家庭に育った子どもたちは、衣食住に不自由せず、家庭の金銭問題が進路に影響しない――。環境だけを見ればその通りかもしれないが、閉ざされた家の中では、不登校や家庭内暴力、親子の確執などさまざまなトラブルを抱えているケースも少なくない。元有名予備校講師の河本敏浩氏が出会った、ある親子のエピソードを、著書の『我が子の気持ちがわからない 中流・富裕家庭の歪んだ親子関係を修復に導く17のケーススタディ』(鉄人社)から一部を抜粋・編集して紹介する。
都立の進学校に通うH君が突然、高校卒業後、声優専門学校に進学したいから学費を用意してほしいと言い出した。本人の実力に見合う大学に進学するものと信じて疑わなかった親は驚き戸惑った。いったいなぜ? 必死に息子を説得するもH君はそれを頑なに拒んだ。こうして私に相談が持ち込まれ、両親が揃って面談に訪れた(H君は同席せず)。頑なな息子の決意を阻止してほしいというのが依頼の趣旨である。しかし、重要なのは親の意向に添うこと以上に、どうして彼がそんなことを言い出したかだ。見えてきたのは、理系こそが世の勝ち組とする父親の世界観と、その配下に置かれたH君の苦悩である。
突如、声優専門学校への進学を希望した息子
H君の父親は理系の一流大学を卒業し大企業の開発部門の管理職に就く、「理系こそが世の勝ち組」という世界観で生きてきた人物。一方、母親は成績を非常に気にする人だった。
H君は国語が得意、数学が苦手という典型的な文系高校生だったが、なぜか理系クラスに在籍し、高校2年から成績不振に陥る。聞けば、理系クラスを選んだのは彼自身で、親はそれを全く強制していないという。ちなみに、H君の2つ下の中学3年生の弟は、兄よりもずっと偏差値の高い一貫校に合格しており、数学の成績は大規模塾でも最上位。理系進学は既定の路線となっていた。
背景となる環境を根掘り葉掘り聞く私に父親は苛立ち、声優学校志望を阻止するためにどうすればいいのか、性急な答えを求めてきた。まるで長男の頭がおかしくなったとでも言わんばかりの勢いである。
聞けば、H君は高校2年の秋、両親に相談を持ちかけてきたという。ちょうど学校で進路調査が行われる時期に差しかかっていた。何だろうと両親が訝しがっていると、高校卒業後、声優の専門学校に2年間通いたい、その学費200万円を出してほしい、足りない分は自分がアルバイトで賄う、日々の活動費も親に迷惑をかけない、と自身のプランを淡々と語ったそうだ。
自分を自立に向けて成長させる貴重な2年を声優学校に捧げるというのは、親からすればあまりに無謀に思える。声優になりたいという意欲自体には「そうか」と言えても、専門学校に行くとなれば話は別だろう。恐らく高い確率で、時間と学費の無駄になる。