「少年マンガのコミックスで書籍扱いなんてあり得ない。絶対に失敗する」とベテランの編集者から言われましたが、この選択は間違っていませんでした。もっとも『新世紀エヴァンゲリオン』のコミックスが売れまくった時は、「なぜうちの店に配本がないんだ」と、一部の書店からお叱りをいただいてしまいました。
社会現象になるほどの
大ヒットを記録
1995年から1997年の手帳を見返すと、マンガはもちろん、アニメに関する仕事が急増しているのが分かります。
『B’TX』のアニメ化に向けては創刊翌年の95年から着手しています。8月7日には代理店とテレビ局の放送枠についての打ち合わせ。3日後の10日には早くも1話の絵コンテがアップしています。1996年10月までにテレビアニメを実現させる、との合言葉のもと、企画を進行させました。競合誌との生き残り競争や、なんと言っても雑誌を軌道にのせるためにアニメ化を急いでいました。車田正美さんも毎月かなりのハイペースで原稿を上げてくれたのはありがたかったです。
この時代には、かつて東映動画の名プロデューサーだった田宮武さんに加え、同じ東映動画出身の横山正夫さんも角川書店に移籍し、アニメの自社開発の基礎を固めていました。社内に開発能力があることのメリットを実感した時期で、これが後にアニメ事業発展のスタートアップになります。
1995年10月4日からテレビアニメがスタートした『新世紀エヴァンゲリオン』は社会現象になるほどの大ヒットになりました。ラスト2話が異例の展開だったこともあり、それが普段アニメに無関心だった層の注目を集めるという現象を起こします。
まだ若手アーティストだった村上隆さんが『エヴァンゲリオン』に注目したトークショーを開くなど、美術界や音楽界を巻き込んで、ジャンルを超えたムーブメントが起こりました。
劇場アニメ化が進むも
トラブルが発生
ラスト2話で描き切れなかったストーリーを劇場アニメにしようとなったのも、放送終了からさほど間もないころでした。1997年3月15日公開を目指し、1996年11月8日に制作スタッフの打ち入りが行われました。大晦日には今はなき新宿ミラノ座にファンを集め、映画の前祝いイベントで年を越しました。
ところが1997年2月。バレンタインデイの数日前、大月さんから電話がかかってきました。今回の映画では完結しないというのです。たいへんなことになりました。映画の配給は東映と東急にお願いしています。春休みの番組に穴をあけてしまったら責任問題です。