『快傑ハリマオ』は、1960年4月5日の第1話の放送直後の4月17日から、「週刊少年マガジン」で石ノ森章太郎さんのマンガがスタートしています。「週刊少年マガジン」は「少年クラブ」の発展型ともいえる雑誌でした。西村プロデューサーは、最初手塚治虫さんにマンガ化の打診をしています。「これだけ大きな企画だから、手塚さんにマンガ化を頼みたい」ということだったのでしょうか。
しかし、当時の手塚さんは、週刊少年マンガ誌でマンガを描くのは「週刊少年サンデー」だけ、という縛りがありました。そこで、石ノ森さんを紹介したのです。ドラマでも使われたハリマオのキャラクターデザインは、手塚さんによるものだと言われています。

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こうなると、『快傑ハリマオ』のマンガは「テレビで人気が出そうだからマンガ化された」のではなく、西村プロデューサーが明確な意思を持って「テレビ番組とマンガを同時スタートさせた」と言っていいでしょう。「テレビ企画」のハシリです。そして、明らかにメディアミックスの手法を使って展開しています。
私は、西村プロデューサーが、日本で最初にメディアミックス効果を狙って、ドラマとマンガを融合した人だと考えています。結果『快傑ハリマオ』のドラマは大ヒットして、第4部まで制作されました。当時としては異例の海外ロケまで行われたと言います。そして、マンガについても、石ノ森章太郎さんの初期の傑作となりました。
ドラマとマンガがウィンウィンの関係になり、メディアミックスは成功しました。西村プロデューサーは、その後のヒットドラマ『隠密剣士』も企画しますが、こちらもマンガ版を作りたかったようです。そんなエピソードを聞くと、やはり早くからメディアミックスの魅力に気がついていた方なのだろう、と感じます。