用不用について
用不用は、よく使用される器官は世代を重ねるごとに発達し、使用されない器官は退化していく、というメカニズムである。たとえば、乳牛の乳房は、人間によって頻繁に搾乳されるために、世代を重ねるごとに大きくなっていく、といったイメージだ。現在では誤りとされている説だが、『種の起源』では進化の仕組みの一つとして採用されている。
ちなみに用不用説は、しばしばフランスの博物学者であるジャン=バティスト・ラマルク(1744~1829)が提唱した説だと言われるが、それは間違いである。用不用説は古代から存在する考え方で、当時の進化学者にとっても一般的なものであった。ラマルクもダーウィンも、そういうよく知られた用不用説を自説に取り込んだに過ぎない。
生活条件の直接作用について
生活条件の直接作用は用不用説に少し似ているが、「使用するかしないか」ではなく「環境への順応」によって生物の特徴が変化する、という説である。たとえば、気候が寒冷化したことによって、厚い毛皮が進化する、といったイメージだ。これも、現在では、基本的には誤りとされている説だが、『種の起源』では進化の仕組みの一つとして採用されている(ただし、これに近い現象がまれに起きることは現在認められている)。
習性について
『種の起源』では、以上の3つの他に「習性」も進化の仕組みとして提唱されているが、これが非常にわかりにくい。ダーウィンは「習性」という言葉を、基本的には「後天的に獲得された習慣的な行動」という意味で使っているのだけれど、同時に進化の仕組みとしても使っているのである。
たとえば、ある人が、これからは毎日寒中水泳しようと決意したとする。そして、毎日寒中水泳をした結果、その人は寒さに強い体質を獲得し、それは子にも遺伝したとしよう。この場合、「習性」が変化したために新たな「体質」が進化したので、「習性」は進化の仕組みと考えられる。しかし、この場合の「習性」は「生活条件の直接作用」と同じことになる。
一方、その人の「習性」が変わらなくても、たんに気候が寒冷化したために、寒さに強い体質を獲得することもあるだろう。これは「生活条件の直接作用」による進化だが、「習性」による進化ではない。つまり、進化の仕組みとしての「習性」は「生活条件の直接作用」の一部ということだ。
さらにややこしいことに、これと同じことが「用不用」と「習性」のあいだでも成り立つ。たとえば、高い木の葉を食べるように「習性」が変化することによって、キリンの首が長くなるように進化することもあるだろう。この場合、「習性」は「用不用」と同じことになる。
一方、乳牛の乳房が発達した原因は「用不用」だが、別に乳牛自身の「習性」が変化したわけではない。つまり、進化の仕組みとしての「習性」は「用不用」の一部ということだ。
以上に述べた進化の仕組みを図に示した。
これらの進化の仕組みの関係を理解していないと、『種の起源』の論理を追うことができず、何が何だかわからなくなってしまう恐れがある。この図をしっかりと理解しよう。
(本原稿は、『『種の起源』を読んだふりができる本』を編集、抜粋したものです)
更科功(さらしな・いさお)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。武蔵野美術大学教授。『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『若い読者に贈る美しい生物学講義』(ダイヤモンド社)などがある。
不真面目な読者のためのまえがき――著者より
ずいぶん昔のことだが、私は『種の起源』について述べた、ある記事を読んだことがある。その記事には、こんなことが書いてあった。『種の起源』は、生物の世界から神を追放して、生物が進化することを実証した科学書である、と。それ以来、私は『種の起源』のことを、神を否定して生物が進化することについて述べた本だと思っていた。
それから私は大学院に入り、進化に関する研究をするようになった。しかし、大学院を修了するまで、私は『種の起源』を読んだことがなかった。ちなみに、私は何人かの進化の研究者に『種の起源』を読んだことがあるかどうかを尋ねたことがあるが、読んだことのある人はほとんどいなかった。
そうして私は、『種の起源』を読まずに長い年月を過ごしてきた。しかし、大学院を出てしばらくしたころ、なぜか『種の起源』を読みたくなって、かなりきちんと読んでみた。そして、『種の起源』を読了して本を閉じたとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。私はずっと、『種の起源』は、生物の世界から神を追放した本だと信じてきた。それなのに、なんと『種の起源』には、「神が生物を創った」と書かれていたのである。
最初、私は意味が分からなかった。『種の起源』は生物の世界から神を追放したはずなのに、どうして「神が生物を創った」なんて書いてあるのだろう。そのとき、突然、私は気づいた。私の目から大きな鱗が落ちた瞬間だった。
「そうか。きっと、あの記事を書いた人は、『種の起源』を読んでいなかったのだ。『種の起源』についての批評はたくさんある。それらを読めば、『種の起源』なんか読まなくても、もっともらしいことは書けるのだ」
それから私は、『種の起源』について書かれた記事を、気を付けて読むようになった。そして、かなりの数の記事が、『種の起源』についてとんちんかんなことを述べていることに気づいた。
どうやら、かなりの数の人が、『種の起源』をきちんと読まずに、『種の起源』についていろいろと述べているらしい。でも、それは、目くじらを立てるほどのことではないかもしれない。仕方のないことかもしれないのだ。
日本では『種の起源』の翻訳は文庫で簡単に手に入るし、実際よく売れているらしいが、たとえ買っても読み終える人はほとんどいないのではないだろうか。
読むべき本はたくさんある。しかし、人生は短い。だから、それらの本のすべてを、きちんと読む時間はないのである。そのため、場合によっては、読んでいない本について読んだふりをすることも必要だろう。
とはいえ、読んだふりをするのなら、実際には読んでいないことがバレない方がよい。それでは、本を読んでいないことがバレない、究極の「読んだふり」とは何だろうか。それは、「本を読んでいないにもかかわらず、本を読んだときと同じ記憶を頭の中に作ること」ではないだろうか。そして、それは、決して不可能なことではないと私は思う。
そこで、私は『種の起源』のロイヤル・ロードを作ることを目指した。ロイヤル・ロードは「王道」と訳されるが、「楽な道」とか「近道」とかいう意味だ。
だいたい『種の起源』を読む時間の10分の1ぐらいで、本書を読み終えることができるのではないかと思う。解説もかなり加えたので、本書の分量は『種の起源』の10分の1よりは多いけれど、読みやすく書いたつもりなので、『種の起源』よりずっと速く読めるはずだ。10分の1の時間で、『種の起源』を読んだときと同じ記憶が頭の中にできるなら、これはまさに王道だろう。
本書を読み終えれば、あなたは周囲の人と、『種の起源』について、いろいろな会話ができるようになる。『種の起源』を読んでいないにもかかわらず、あたかも『種の起源』を読んだことがあるかのように、流暢に話をすることができるだろう。相手の言ったことに補足を加えることだって、できるかもしれない。「ああ、たしかに『種の起源』にはそう書いてあるけれど、現在では、そういう理論は使われていないよね」なんて偉そうに言えるかもしれない。
そんなふうにしていれば、あなたが『種の起源』を読んでいないことがバレることはないだろう。そして、本書を読んだ人が、みんな『種の起源』を読んだふりをして、そしてバレる人が一人もいなければ……それこそ著者冥利に尽きるというものである。
■新刊書籍のご案内
『種の起源』を読んだふりができる本』
更科功 著
☆絶賛の声が続々!☆
長谷川眞理子氏(人類学者)
「ダーウィンの慧眼も限界もよくわかる、出色の『種の起源』解説本。これさえ読めば、100年以上も前の古典自体を読む必要はないかも」
吉川浩満氏(『理不尽な進化』著者)
「読んだふりができるだけではありません。実物に挑戦しないではいられなくなります。真面目な読者も必読の驚異の一冊」
中江有里氏(俳優)
「不真面目なタイトルに油断してはいけません。『種の起源』をかみ砕いてくれる、めちゃ優秀な家庭教師みたいな本です」