戦争中は無性に別れたお友だちに会いたくなる。私は北海道に疎開したから、汽車だけでは帰れない津軽海峡がある。それで会いたくなるといつも空を見て「空はつながっている。雲に乗れたらなあ」と想像していたのです。
石森延男先生には「文字を習った子どもが読む楽しさを覚えるようなものを書いてください」と言われました。国語が好きになるか嫌いになるか、責任重大です。
400字4枚書くのに、1年かかりました。全国の1年生が喜んで読むものを書かねばならぬ。日本中どこの土地でも春は桜とはいかない。全国どこでも同じ1年生を念頭におきました。男の子も女の子も先生も学校も。
小学校1年生について改めて調べました。先生方のレポートを一山は読んだでしょう。「くじらぐも」は、1年かかってやっと書き上げた苦心の作です。今も教科書で使われているということが、とても嬉しいの。
「くじらぐも」の曲を作った
加藤旭くんとの交流
大阪・箕面の小学校の校長先生にお目にかかったとき、かつて1年生の担任だったそうで、いたってのんびりした小学校で、どうやったら国語に興味を持ってもらえるか考えたんですって。
当時は入学前に自分の名前を書ける子が珍しいような時代で、「こくご」にも無関心。それで原っぱに子どもたちを連れていって、「くじらぐも」を読んで聞かせたんですって。そうしたら男の子が、「先生、その話おもろいわ。字ィ読めるとよろしいな」と言ったそうです。お陰で、「こくご」が気に入られた。

「くじらぐも」は、合唱曲にもなったんですよ。作曲したのは加藤旭くんという男の子で、幼稚園の頃から作曲が大好きだったんですって。1年生のときクラスで「くじらぐも」の劇をするので先生に頼まれてつくったそうで、高校生になって楽譜を出すチャンスがあり、「中川さんに断らないといけないだろう」と旭くんに言われて、お母さんが手紙をくださったの。それがご縁で、親しくなりました。
旭くんは残念ながら脳腫瘍で16歳で亡くなりました。今も合唱曲は歌われています。
私の読者は私を乗り越えて、立派になったというのが私の自慢。あなたのほうが、私よりずっと偉い、って。