
床の間に飾られた一輪の花はやなせメルヘンの象徴か
東海林が「どういて」「どういて」と質問を重ねたのは、高知新報の面接を再び行っていたようなものであろう。
あのときの面接で、のぶは軍国主義だったことを面接官に問い詰められていた。軍国主義が間違っていたと感じ、信じてしまった自分を責めながらも、やり直そうとしていたのぶだけれど、そのときはまだうまく言語化できなかった。
あれから何十年もたって、のぶはいまや堂々と東海林に語る。
かっこよく敵を倒しても、壊された町やそこに住む人たちはどうなるのか。弱っている人、困っている人を救うのが真のヒーローだと、嵩の考えをのぶはそう理解していた。
あの面接でうまく言えなかったことを、何十年かけて、のぶは見つけたのだ。嵩と共に。
嵩もまた、あの頃、面接で「逆転しない正義」についてたどたどしく語っていた。
「自分は正義だと思っていても、相手の立場からすると、自分は悪になってしまうんだと思い知らされました」
でも彼のその言葉は面接官たちにはピンとこないものだった。
東海林は一緒に聞いていて、嵩とのぶが言っていることがずっと気になっていたようだ。そして、いま、ふたりが東京でがんばって、「アンパンマン」という答えを見つけたことを心から喜ぶ。
茶室に差し込む明かりが、弱い者に手を差し伸べる、清らかな心のように輝いている。東海林の背後の床の間に生けてあるのは一輪のバラだろうか、ぷっくり丸いピンクの花が上品で愛らしい。
やなせたかしがはじめて『アンパンマン』を掲載した雑誌の連載(12作のメルヘン)の一作にバラをモチーフにした『バラの花とジョー』や『天使チオバラニ』がある。
前者は犬とバラの純粋な愛情の物語のなかに公害批判が書かれている。後者は、どストレートな戦争批判で、少女の祈りによって大砲の弾がバラの花に変わったりする。大人のためのメルヘンは社会批評をメルヘンのなかに込めたもののようだ。でも作者は解説にそんなことは書いていない。
この12作のメルヘンのなかに『チリンのすず』もあり、『アンパンマン』もあった。雑誌で連載したあと、1970年に、サンリオから『十二の真珠』として出版されたが、評価されなかった。
やがて、やなせが93歳になったとき、この本が復刊される。これを持ちかけた編集者が、『やさしいライオン』のムクムクを演じた増山江威子の娘さんだったという、奇縁に筆者はたまげた。