「認める」と「ほめる」の違いとは?
失敗を恐れずに挑戦する人を育てる方法
ここで改めて整理しておきたいのが、「認める」と「ほめる」の違いです。この2つの言葉は混同されがちですが、全く異なるものです。「ほめる」とは、相手の成果・行動・姿勢など、何らかの“評価対象”をポジティブに伝える行為です。一方で「認める」は、相手の存在・意志・感情・過程を、“価値あるものとして受け止める”行為です。
例えば、「売り上げが伸びたね、よくやった!」「新しい提案、面白かったよ。チャレンジしてくれてありがとう」、これらは「ほめる」です。成果や行動を“評価”し、賞賛を伝えるコミュニケーションです。
しかし、結果が出なかったときはどうでしょう?「売り上げは上がらなかった」「挑戦もしなかった」「熱意も見えなかった」――こうなると、“ほめる材料”が見当たらず、「何も言わない」、「叱る」、あるいは「無理にほめる」のいずれかになってしまいます。
では、「認める」とはどういう行為なのか?「認める」は、評価とは違います。“観察”と“共感”によって、相手の存在そのものを受け止める行為です。結果や姿勢がどうであれ、「あなたの今の状態を見ている」「関心を持っている」「知ろうとしている」という姿勢こそが、“認める”というコミュニケーションになります。
たとえば、こんな声かけが「認める」です。
・成果も姿勢も悪かった→「正直、あなたらしくなかったと思う。でも、何があったかを一緒に整理しよう」
・ミスをした→「失敗したな。でも、あの判断をした背景には理由があったと思う。そこを一緒に考えよう」
・意欲が見えなかった→「最近、モチベーションが下がっているように見える。理由があるなら教えてほしい」
こうした言葉には、「評価」はありません。しかし、「見ているよ」「気にかけているよ」「わかろうとしているよ」といった“見逃さないまなざし”が含まれています。これが、「認める」という行為の核心です。
「ほめられて育った人」は、失敗を恐れるようになります。なぜなら、ほめられなければ価値がないと感じてしまうからです。結果として、無難な選択を好み、挑戦を避ける傾向が強くなります。さらに、上司からの建設的なフィードバックすら「批判」として受け止め、反発や自己否定につながることもあります。
一方で、「認められて育った人」は違います。挑戦の結果ではなく、姿勢や意志、変化そのものを見てもらえているという安心感があります。だからこそ、失敗を恐れずに挑戦し、フィードバックも前向きに受け止められるようになります。
つまり、「認める」という文化が根づいた組織は、心理的安全性が高く、建設的な対話が生まれやすくなります。これは個人の成長だけでなく、組織としての強さにもつながるのです。