嵩とヤムおんちゃんとの関係にもほっこり

和明の息子はアンパンをもらえたのか気になるのだが……。
和明は、追いついたのぶと嵩に「戦場で父が少年に抱いた感情も少しだけわかっていけるような気がするんです」と神妙に語る。
そこで判明するのは、高知の岩男の墓に花が時々供えてあったこと。それは嵩の供えたものだった。
「なかなか行けないけれど」とはにかむ嵩だが、いやいや、全然高知に帰っていないだろうー。モデルであるやなせたかしの書籍を読んでも、身内に対してはわりと乾いた印象を受ける(あくまで個人の感想です)。
梯久美子の『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)では、やなせは、弟、母、伯父、伯母の最期には、いずれも立ち会っていないと書いてある。もちろん事情があるとは思う。
やなせたかしは明るいし情熱的だし社会のことを考えているが、どこか猫のような素っ気なさを感じる。そういう意味ではドラマの嵩のほうが情のある人間に見える。たぶん北村匠海の演技によるものだろう。そして、墓参りにも行っていたと一言つけ加えたことで、嵩は一層、情のある人物になった。
ドラマの嵩の情緒は、ヤムおんちゃんとの関係にもある。
久しぶりに会ったヤムおんちゃんを嵩が抱きしめる。誰もいない劇場でふたりは語り合う。ヤムおんちゃんは『アンパンマン』を読んで、嵩が戦場で飢えに苦しんだことに気づいていた。やむおんちゃん自身も生きるために死んだ人が持っていた乾パンを食べたことに後ろめたさを感じ続けて生きてきた。
でも嵩は「ありがとうございます、生きていてくれて」「生きててくれたおかげであなたはいま僕の隣にいます」と言う。嵩も線路に頭を乗せていたこともあったけれど、こうして生き残ってすばらしい作品を生み出している。
思えば、線路に頭を乗せているのも、ある種、頭を失くすことになる行為である。嵩の頭が生き残って、頭を他者に食べさせるキャラクターが生まれたのだ。
丸い顔は小さいころの千尋を思って描いたと語る嵩とヤムおんちゃんの並んだ姿はしみじみといい画だった。ふたりの目線の先には、客席の入り口ドアに貼ってあるアンパンマンのポスターがあった。
まったくの余談だが、健太郎(高橋文哉)の腕組みが、『あまちゃん』の荒巻(古田新太)のようだった(秋元康と『トレインスポッティング』の融合)。