2人の分離は出生後からの懸案だった。ベトナム側は2人の日本滞在中の手術を望んだが、実現しなかった。

 寝たきりのベトさんを犠牲にし、元気なドクさんを優先すべきか。2人とも生かす可能性を探るべきか――。倫理上の問題点に加え、親権者の許可もなかったためだ。

 手術にあたり、ベトナムの医師たちは連日、議論を重ねた。最終的に腎臓と脚はベトさんとドクさんが分け合い、1つしかない性器や肛門などは、ドクさんがもらうことに決まった。

 2人と交流を続けていた中村さんは、手術室への入室が許された1人だ。枯れ葉剤被害を長年調査した実績が認められたという。

「2人のつながった腰骨が、巨大なのこぎりとのみで切り離された。びっくりした」

 約15時間に及んだ手術は、無事成功した。日赤は医療機器を提供したほか、医師や技術者も派遣し、側面支援した。

 ツーズー病院で2人の主治医だったグエン・ティ・ゴック・フォン医師は言う。

「つながったままでは、ドクは学校にも行けないし、友達にも会えない。ドクに自由で自立した生活を送らせるチャンスを与えられたことが、手術の最大の成果だった」

壮絶な手術を終えたドクさんに
待ち構えていた社会の壁

 分離手術後に始まったドクさんの新たな生活は、決して順風満帆ではなかった。

 念願の学校に通い始めたものの、学んだことが覚えられず、授業についていけない。「投薬の影響だ」。医師からはそう説明された。中学校を離れ、職業訓練学校でコンピューター技術を学んだ。

 特殊な環境は、心の成長も妨げた。看護師は優しく、身の回りの世話を何でもしてくれた。取材で注目され、贈り物も当然と受け止めた。

 フォン医師は「『甘やかされてばかりでは駄目だ』と教えるのに苦労した」と打ち明ける。

 再会した母との関係にも苦しんだ。分離手術の許可を得るため、ツーズー病院はフエさんを探し出した。フエさんはその後、病院に住み込みで働き始めたが、ドクさんは、耳慣れない方言を話す「初対面」の女性を「家族」と実感できなかった。今もぎこちなさが残る。