製薬フロンティア

大手製薬による“大阪・道修町離れ”が一段と進んでいる。今が道修町を見詰め直す良いタイミングだろう。連載『製薬フロンティア』内の特集『道修町×大阪製薬』の本稿では、がん免疫治療薬「オプジーボ」の大ヒットで赤丸急上昇中の小野薬品工業にスポットを当てる。昭和半ば、創業家の小野雄造社長が今の小野薬品の繁栄につながる“英断”をしていたことを、1967年のダイヤモンド臨時増刊号の掲載記事で振り返る。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

タケダより歴史が長い小野薬品
今もなお登記上の本店は道修町

 小野薬品工業は1717年創業であり、その歴史は同じ大阪・道修町発の製薬会社である武田薬品工業、塩野義製薬、住友ファーマ(大日本製薬がルーツの一社)をもしのぐ。

 創業家の経営トップは代々「(小野)市兵衛」の名を継承。1890年には大阪薬種卸仲買商組合のトップを意味する「総取締」に就任している。2003年に本社を道修町の南約1キロへ移したが、登記上の本店は変わらず道修町だ。

 近年の小野薬品は、売り上げ規模で道修町の御三家(武田薬品、田辺製薬〈後に田辺ファーマ〉、塩野義製薬)に及ばない時期が続いた。この秩序に変化をもたらしたのは、小野薬品が京都大学の本庶佑氏(後にノーベル賞受賞)と共同研究し開発した、がん免疫治療薬「オプジーボ」だ。14年に承認・発売されると、幅広いがん種への効能から瞬く間に大ヒット製品となった。

 25年3月期決算で道修町発製薬大手を売上高順に並べると、武田薬品、アステラス製薬(藤沢薬品工業がルーツの一社)に続き、小野薬品が堂々の3位(売上高4868億円)となっている。

 以下は中興の祖として社内に伝わる、9代目小野市兵衛こと小野雄造氏(1956~77年社長)を紹介した1967年(昭和42年)の「ダイヤモンド臨時増刊」収載記事である。超大型製品となったオプジーボから連想される“イノベーティブな小野薬品”とは懸け離れた過去があったことが、読み取れることだろう。記事では“御曹司社長”の意外な一面も紹介している。

 道修町の変化とともに、製薬会社も変化してきたのだ。

(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)

小野薬品といえば
大衆薬専門メーカー?

「ダイヤモンド臨時増刊」1967年8月1日号「ダイヤモンド臨時増刊」1967年8月1日号より

 医家向け薬への転換と新薬開発で着実な発展遂げる。合理的実践論者である小野(雄造)社長の下に団結も強く今後の展開に妙味多い。

 小野薬品といえば、大衆薬の専門メーカーだと思い込んでいる人が世の中には多い