人類の歴史は、地球規模の支配を築いた壮大な成功の物語のようにも見える。しかし、その成功の裏で、ホモ・サピエンスはずっと「借りものの時間」を生きてきた。何千年も続いた栄光は、今や終わりが近づいている。なぜそうなったのか?『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』は、人類の繁栄の歴史を振り返りながら、絶滅の可能性、その理由と運命を避けるための希望についても語っている。竹内薫氏(サイエンス作家)「深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、著者の筆致がユーモアとウィットに富んでおり、痛快な読後感になっている。魔法のような一冊だ」など、日本と世界の第一人者から推薦されている。本書の内容の一部を特別に公開する。
「遺伝コード」とは?
「遺伝コード」とは何だろうか? あなたの体をつくる何兆個もの細胞のひとつひとつの中心――つまり細胞の核の奥深くには、とても小さな“本”のようなものが収められている。
この本には、細胞や組織、そして体そのものを健康に保ち、機能させるための「設計図」が書き込まれている。
この本の正体はDNAと呼ばれる長いひも状の物質で、四種類の化学的な“文字”=(塩基)からなる「アルファベット」でできており、それらが順番に並んで「化学的な文章」を形づくっている。
この文章ひとつひとつが、ひとつの「遺伝子」だ。この設計図の中には、およそ三万の遺伝子があり、それらは三〇億を超える塩基の並びで書かれている。
あなた自身の遺伝情報
そして、すべての遺伝子はふたつずつのセットになっていて、ひとつは父親から、もうひとつは母親から受け継いだものだ。これが「核DNA」と呼ばれる、あなた自身の遺伝情報である。
けれど、私たちの細胞にはもうひとつ、別のタイプのDNAも含まれている。それが「ミトコンドリアDNA」だ。
これは、細胞の核の外側にある「ミトコンドリア」という小さな器官の中に収められていて、長さはずっと短く、わずか一万六五六九塩基からなるが、ひとつの細胞の中に数千ものコピーが存在している。
ミトコンドリアDNAと人類の系譜
そしてこのミトコンドリアDNAは、父親からは受け継がれず、母親からだけ引き継がれる。ウィルソンらの研究は、このミトコンドリアDNAを使って人類の系譜をたどった。つまり、一般的な「家系図」ではなく、「母から娘へ」とたどる“母系の系譜”だったわけだ。
だからこそ、彼らはその共通の祖先の女性に「イヴ」という名前を与えた――正確には、「ミトコンドリア・イヴ」である。
彼らはまた、ヨーロッパ系やアジア系の人々から採取されたミトコンドリアDNAが、どれもアフリカのもっと大きな系統樹から分かれた枝であることを示した。
「たったひとりの共通の母」なのか?
これはつまり、アフリカ以外に住むすべての人々、そしてアフリカに今も暮らす人々までもが、共通の“アフリカ出身の母”にルーツを持つということを示していた。
とはいえ、「イヴ」が唯一の女性だったわけではない。彼女のまわりには、ほかにも多くの女性――母親や姉妹、娘たち――がいたはずだ。ただ、そうした女性たちは、子孫を残さなかったか、残したとしても現代まで続かなかった。
人類の歴史には絶えず絶滅の波が押し寄せ、かつて存在した多くの系統はその途中で途絶えてしまった。そのため、結果として「たったひとりの共通の母」がいたかのような印象が生まれるのだ。
また、「イヴ」は最初の女性だったわけでもない。彼女自身も、はるか以前から続く無数のホミニンの血を受け継いでおり、ただ「現代人すべてに共通する最後の母」であったにすぎない。
「イヴ」の正体
もちろん、「イヴ」本人が当時、特別な存在だったわけでもない。彼女の頭の上に光の輪が浮かんでいたわけでもなければ、「この人だけが二十万年後まで子孫を残す」といった印があったわけでもない。
もしかすると、彼女にはほんのわずかに、当時は誰も気づかないほど小さな、生存上の有利さがあって、それが世代を経てじわじわと効いていったのかもしれない。あるいは、ただ運がよかっただけなのかもしれない。
(本原稿は、ヘンリー・ジー著『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』〈竹内薫訳〉からの抜粋です)
著者:ヘンリー・ジー
「ネイチャー」シニアエディター
元カリフォルニア大学指導教授。一九六二年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学にて博士号取得。専門は古生物学および進化生物学。1987年より科学雑誌「ネイチャー」の編集に参加し、現在は生物学シニアエディター。ただし、仕事のスタイルは監督というより参加者の立場に近く、羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している。テレビやラジオなどに専門家として登場、BBC World Science Serviceという番組も制作。前作『
超圧縮 地球生物全史』(ダイヤモンド社)は、優れた科学書に贈られる、王立協会科学図書賞(royal society science book prize 2022)を受賞し、ベストセラーとなった。
訳者:竹内 薫(たけうち・かおる)
1960年東京生まれ。理学博士、サイエンス作家。東京大学教養学部、理学部卒業、マギル大学大学院博士課程修了。小説、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。主な訳書に『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』(ロジャー・ペンローズ著、新潮社)、『WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方』(ジル・ボルト・テイラー著、NHK出版)、『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)、『
超圧縮 地球生物全史』(ダイヤモンド社)などがある。
自然科学と人文科学の間に見事に橋を渡し、人類の未来に対する深い洞察を与えてくれる――訳者より
ヘンリー・ジーの最新作『人類帝国衰亡史』は、ホモ・サピエンスの起源から絶滅の予兆までを描いた、壮大な叙事詩である。
全体は「台頭」「凋落」「脱出」の三部からなり、人類の物語をあたかも古代ローマ帝国の興亡になぞらえて描いている。
第一部「台頭」では、人類の祖先である初期ホミニンの登場から始まり、二足歩行という決定的特徴により他の類人猿と一線を画した道を歩み始めた経緯を語る。
第二部「凋落」では、ジーが指摘する「転落の始点」およそ五万~二万五千年前、ホモ・サピエンスが唯一の生き残った人類種となった瞬間――から、不可避の衰退が始まったとしている。
農業の発明、家畜化、都市化、そして人口爆発に至るまで、人類の繁栄がいかに生態系と自らの生存基盤を侵食してきたかを、遺伝的多様性の低下、農業依存、感染症の蔓延などの事例とともに描いている。
第三部「脱出」は、暗い未来の中に差す希望の光を描いている。ジーは、宇宙移住や技術的進化によって、人類が絶滅を免れる可能性を模索する。そのためには「一つの種」であることをやめ、多様な「ポスト・ヒューマン」への分岐を果たすことが必要だと主張する。
本書の主張は衝撃的だ――ホモ・サピエンスの衰退はすでに始まっており、絶滅は不可避、しかもそれは今後一万年以内に起こりうる、というのである。
しかし本書は単なる悲観論ではない。むしろ、「今が転換点だ」と、強く警鐘を鳴らし、私たちの選択と行動によって未来は変えられると示唆している。
この本が持つ意義は、まず第一に、人類史を扱う際の「時間スケール」を根本から問い直す点にある。本書は、進化生物学、古人類学、人口統計学、気候科学、未来学といった異なる学問領域を横断的に見渡し、人類の歴史を単なる文明の興亡ではなく、「生物の興亡」と位置づける。
それにより、読者は地球四十六億年の歴史の中で人類という存在が占めるわずかな時間の重みと、その有限性を直感的に理解することができる。
ところで、本書は自然科学の枠組みで書かれているが、文系読者にも強くオススメしたい。本書は、人類史をひとつの「物語」として味わうことができるよう工夫している。
科学的な事実を詩的かつウィットに富んだ言葉で描き出すジーの文体は、文学的素養を持った読者に強く訴えかける。加えて、本書は人間という存在を「時間」「空間」「存在」という三つの軸から捉えようとする学際的な試みでもあり、自然科学と人文学を統合する現代的な知のスタイルを象徴している。
科学と人文学の垣根を越えた本書は、理系・文系を問わず、人類の過去と未来に深い関心を持つすべての読者にとって、貴重な知的体験となるはずだ
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竹内薫氏(サイエンス作家)
「深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、著者の筆致がユーモアとウィットに富んでおり、痛快な読後感になっている。魔法のような一冊だ」
けんすう氏・大絶賛!
「人類がそろそろ滅亡する理由がこれでもか?!ってほどわかります!」