どんなに修練を積んだ美容師でも、仕事に「慣れた段階」で失敗することがあります。
新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。本記事では、ロンドンの美容師への調査と伝説のスタイリストの実例から、慣れによって起こる失敗の例を、『EXPERT』本文より抜粋してお届けします。

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慣れによる失敗

美容師のファブリスは、ロンドンで修業の最終段階に入っていた。すでに高度な技術を身につけ、櫛やハサミの扱いはもちろんのこと、あらゆる髪の性質にも通じ、客とおしゃべりしながら、ほとんど無意識に手を動かすことができた。だが、ある日、最後の客を迎えたとき、時間通りに店を閉めたかったファブリスは少し急いでいた。
客はショートヘアの中年女性だった。カットの途中でファブリスは、頭頂部の髪を切りすぎたことに気づいた。この業界には「切りすぎたら後の祭り」という言葉がある。ファブリスは、私が手術室で何度も味わったのと同じ落胆を経験した。

門外漢には、美容師の仕事は髪をカットして形を整える技術がすべてと見えるかもしれない。だが、実際にいちばん大切なのは時間経過もふまえた構想力だ。髪の伸び方は人それぞれなので、そのパターンを見越して髪を整えることが重要なのだ。特に頭頂部でその読みを間違えると、カット直後は問題なくても、髪が伸びるにつれてスタイルが崩れてしまう。特にショートヘアは、一ミリの違いが大きな違いにつながるのでスタイリスト泣かせだ。

うっかりミスを犯してしまったファブリスは、その結果に対処しなければならなかった。はじめての客ではなかったので、それまでの関係をふまえて正直に説明した。「お客様の髪の性質を考えると、少し短く切りすぎてしまったようです。二週間ほど経てば問題はなくなるはずですが、今日のところは、ご希望より少し短いと感じられると思います。ご了承いただけるでしょうか?」客は不満そうだったが、ファブリスの説明を受け入れただけでなく、次に来店したとき、またファブリスを指名してくれた。

ファブリスは自信過剰のせいでミスをした。習熟しかけていたテクニックに頼りすぎて、いま自分が行っているカットで間違いないか確認することを忘れていた。その後ファブリスは、どんなに経験を積んだあとでも、スタイリストにこの種の失敗は付きものだと知った。彼は失敗体験のあるスタイリストの一人になった。どれほど有名なスタイリストでも、失敗と無縁でいることはできない。

有名なファッションデザイナーであるマリー・クワントが、一九六〇年代に伝説のスタイリスト、ヴィダル・サスーンに髪を切ってもらったときのことを語っている。「ある晩、彼は新しい“ファイブ・ポイント・ジオメトリック・ボブ”を宣伝するために、大勢のカメラマンの前で私の髪をカットしたの。熱い視線を浴びて舞い上がったのか、彼ったら、シュパッ! 私の耳を切っちゃったの。耳たぶがほんの少し切れただけだったけど、いちばん血が出るところだったのよね」

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)