それによって、僕たちの「○○国に住む○○人」という意識は、着実に薄まっている。

 想像してみてほしい。あなたが会社員だとして、「来週から2年間、ロサンゼルスで勤務してください」と会社から命じられるのと、「来週から2年間、仕事でもプライベートでも、インターネットを一切使わずに生活してください」と命じられるのと、どちらがいいだろうか?どちらかを選んで2年をまっとうすれば、昇給や昇格が約束されているとしよう。

 あなたがもし英語をほとんど話せないのであれば、いきなりロサンゼルスで働くことに大きな不安を抱くだろう。それでも、ある程度は許容できるはずだ。今は翻訳アプリの精度も高くなっていて、即時通訳に活用できる。

 また、スマホのカメラをかざせば外国語の文字を瞬時に翻訳してくれるアプリもある。

 家族や友だちと離れるのが寂しくても、オンラインのビデオ通話やチャットアプリなどで、気軽に連絡を取り合うこともできる。

 インターネットという万能の武器さえ使えれば、外国でも、日常の大半の問題を即座に解決できるというわけだ。

ナショナリズムや愛国心も
いまや過去の遺物と化した

 その半面、インターネットを2年間使わない生活は、さまざまな面でこれまでより時間がかかる上に、ITの目まぐるしい進化にもついていけなくなり、むしろ大幅なスキルダウンだと感じるだろう。

 当然、「ロサンゼルスに行くほうを選びます」と言う人が圧倒的多数だろうし、「いくら2年後の昇給・昇格が約束されていたって、『インターネットを使うな』なんて無意味なことを命じる会社、辞めてやる」と、辞表を出す人さえいるのではないだろうか。

 インターネットがあるかないかで、生活にこれほど大きな違いが生まれる。

 インターネットがなければ、インターネットがある場合と比べて、時間も労力もかかる生活を送らなければならない。

 一方、インターネット環境さえあれば、住んでいる国によって(言語の壁があるとしても)利便性が決定的に変わることはない。