レンタカーの法整備が行われた1951年当時は、一般乗用車とレンタカーのナンバープレートは同じものが使われていました。しかし、ドライブクラブのクルマの事故が多いということで、通常のナンバープレートが白地に黒文字だったのに対し、57年には反転した「黒地に白文字」のナンバープレートが割り当てられました。ドライブクラブのクルマであることを明確にしたのです。

えっ、ナンバーが白地にオレンジ文字!?わずか2年で消えた「幻のナンバープレート」とは画像提供:全国自動車標板協議会
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 ところがこの黒地に白文字のナンバープレート、「葬式プレート」と揶揄(やゆ)され忌み嫌われてしまいました。そこで当局は59年、「白地にオレンジ文字」に変更することに。この特殊な見た目のナンバープレートの色調が揶揄(やゆ)されて「ピンクのナンバープレート」と呼ばれるようになったのです。

えっ、ナンバーが白地にオレンジ文字!?わずか2年で消えた「幻のナンバープレート」とは全国自動車標板協議会
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 しかしこのピンクのナンバープレートも嫌われたため、61年には現在のように通常のナンバープレートと同じ色使いになり、レンタカーの場合は、ひらがな部分を「わ」(北海道、沖縄など一部地方では「れ」)に分類するようになりました。

 ピンクのナンバープレート、売春組織の隠れ蓑として使われたこと、事故が多かったことなど、さまざまな要因が重なってドライブクラブの印象はあまり良くなかったそうです。日本にモータリゼーションが訪れる前、こんなことが起きていたのだなと、歴史をひも解いていく面白さを感じるエピソードでした。

諸星陽一プロフィール