
今から70年近く前、クルマのナンバープレートに「葬式ナンバー」や「ピンクナンバー」があったのを知っていますか?なぜ生まれ、なぜ廃れたのか。日本のモータリゼーションの歴史をひも解くと面白いことが分かりました。(モータージャーナリスト/安全運転インストラクター 諸星陽一)
売春防止法が施行された直後の東京
殺人事件を発端に、秘密交際クラブを追うと…
クルマに掛かるコストを抑えるために、都市部を中心にカーシェアがずいぶん普及してきました。トヨタ自動車をはじめ大手企業の喧伝もあって、カーシェアはまるで新しいクルマの使い方のように思われていますが、実は違います。今から70年近く前に、そのシステムは作り上げられていました。
カーシェアが昔から存在していたことに気付いたのは、古い日本映画を見ているときでした。筆者は戦後や高度成長期の日本の情景を楽しむために当時の日本映画を見るのが好きで、ストーリーなどはあまり気にせず鑑賞しています。ある日、1本の日本映画を鑑賞中に「これってカーシェアではないの?」というシーンが目に飛び込んできました。
その映画は、「白線秘密地帯」。1958年公開の作品で、監督はのちに「網走番外地」シリーズ(高倉健主演)でメガホンを取ることになる石井輝男、主演は宇津井健です。舞台は、売春防止法が施行された直後の東京。特殊浴場で起きた殺人事件を発端に、秘密交際クラブの存在を警察が知ることになり、組織を追い詰めていくというストーリーです。この秘密交際クラブのひとつとして登場するのが、「ドライブクラブ」です。