海上自衛隊は、その可能性は限りなく低いのではないか、という立場だった。なぜなら、当時の極東ソ連軍は限定的な侵攻であっても、部隊を海上輸送する能力がないと見積もられていたからだ。そうであれば、海上自衛隊は日本海やオホーツク海でちまちま動くよりも、太平洋側のシーレーン防衛により多くの資源を投入したかった。

ソ連軍侵攻がないのなら
見直すべき要項は多々あるが……

 もしもソ連軍による着上陸侵攻の可能性が低いのであれば、基盤的防衛力構想を見直さなければならなくなる。日本全国にくまなく部隊を配備する必要性も低くなる。つまり、山川論に基づき14区画に師団・旅団を配備する陸上自衛隊の編制を見直さなければならないのではないか、という議論につながる。

 こうした疑問に対し、陸上自衛隊との間で、「結論」を見いだせなかった。

 ウラジオストクから出発した極東ソ連軍3個師団が北海道北端の稚内周辺に上陸し音威子府を攻略して札幌を目指し南下することが想定されるので、ソ連軍3個師団に相当する陸上自衛隊5個師団で応戦する。北海道に駐屯する4個師団では足りないので、九州に駐屯する1個師団を「北転」させて応戦する、という昔ながらの議論はあった。

 問題は、こうしたシナリオ自体がそもそも現実的なのか、という点だった。

 陸上自衛隊内部に、当時のソ連の対日侵攻に正面から取り組んだ地に足の着いた国防論がなかったわけではない。当時、西村繁樹氏という異能の陸上自衛官が唱えた「ノルディック・アナロジー」という議論もあった。要するに、北海道の地政学的条件はソ連の脅威に直面する北欧と酷似しているので、これに備えなければならないという議論だ。

 たとえ、その当時は極東ソ連軍に北海道に着上陸侵攻する能力がなくても、対米核戦略上、ソ連が戦略原潜を有効活用するためにはオホーツク海が死活的に重要であり、オホーツク海を守るためには千島列島の防備を固め、ソ連の潜水艦や艦艇を狙う地対艦ミサイルが配備されている北海道を落とす(軍事占領する)ことがソ連の戦略目標となる。こうしたソ連の動きを封じることが肝要だと西村氏は唱えた。

 だが、前述の計画官の下で行われた会議で、こうした議論は皆無だった。私の眼には、陸上自衛隊は「陸上自衛隊不要論」を極度に恐れているように映った。仮にソ連の着上陸侵攻がないのであれば、戦車は必要ないのではないか、大砲もいらないのではないかという議論になるのを恐れ、まともな国防論には乗ってこないように見えたのだ。