
1961年に行われた第2次防衛力整備計画より、陸上自衛隊で用いられてきた「山川論」。これは、日本の国土は海峡や山岳・河川で寸断されて大規模部隊の移動が難しいので、その地理的条件を克服するため、山や川で区分された14区画それぞれに師団を置くという考え方だ。この「山川論」が現在にまで引き継がれている理由と、そこにある問題についてみていこう。※本稿は、香田洋二『自衛隊に告ぐ―元自衛隊現場トップが明かす自衛隊の不都合な真実』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
全国に部隊を配備する
体制にこだわるワケ
なぜ、山川論に基づく14区画に師団・旅団を配備する体制が長らく続いているのか。
表向きの理由はこうだ。日本列島は四方を海に囲まれており、どこから攻め込まれるか分からない。冷戦時代であれば、ソ連による侵攻があるとすれば北海道であると想定されていたが、北海道の守りばかりを固めていれば、九州に攻め込まれるかもしれない。だから、全国くまなく部隊を配備し、隙のない体制を作るべきだというわけだ。
これはこれで分からないでもないが、山川論が根強い影響力を持つのは、これだけが理由ではない。
自衛隊発足当初は、ソ連や中国の影響を受けた革命運動や、ゲリラ部隊による攻撃が懸念されていた。いわゆる「間接侵略」である。この間接侵略は、全国どこででも発生する可能性があるため、全国各地にまんべんなく部隊を配置して即応態勢を採らなければならない。
池田ロバートソン会談(編集部注/1953年10月にワシントンD.C.の国務省で行われた、自由党政調会長の池田勇人とウォルター・ロバートソン国務次官補の会談)で米国側が陸上自衛隊全体の人数よりも10個師団を揃えることにこだわったのは、このためだ。