つまり、幕府は政策で誤ったというよりも、政策への理解普及に失敗した、その政治手法に問題があったというべきではなかろうか。
だとすると、与党が経済対策を何もやっていないかのような誤解を生むのは、彼らの説明不足、そして説明すべき相手を間違えているからとも言える。
発信の需要性は今も昔も同じ
手段は時代によって変化
何を、誰に向けて、どのように発信するのかは、時代によって常に変化する。
たとえばSNSについて、胡散臭いとか、ああいうことをしているのは選挙に行かない連中だ、という思い込みがあるのではないか。
たしかにオンライン上には真偽不明の情報があふれているが、それを参考にする国民が一定数いる以上、そして政党の政治活動の枠外にいる人々がそこに多くいるとするならば、ここを説明の場の重要拠点の一つとしなければなるまい。
幕府が限定的な範囲でしか政策理解を求めなかった失敗を、犯すべきではない。
筆者は幕府の失敗に、指導者の資質を加えなかった。もとより指導者の資質は重要だが、どれだけ有能な人物であっても時代の制約を受ける。
徳川最後の将軍慶喜は、個人として有能であったことは周辺の証言から明らかである。
しかし、「慶喜さん、あなたは名ドライバーだから、きっと良い運転ができます」と言って乗せられた自動車は、見てくれば立派だがエンジンも古くタイヤはツルツル、ガソリンもほとんど入っていない。
慶喜は、急坂を落ちていく車の中でただ微妙にハンドルを左右に動かすことしかできず、最後は乗員を見捨てて降車してしまった。
自民党がいま急坂を落下している状態なのかはわからない。少なくとも民主党に政権交代した折はもっと議席が少なかったのだから、あるいは急坂を下りる手前かもしれない。
時間がまだあるならば、次の総裁は多党化に対応して多様な意見を取り入れ、政策を国民に説明し、福地源一郎の言葉を借りれば「諄々(じゅんじゅん)と」啓蒙し、堂々と国民の判断を仰ぐ人物であってほしい。