世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)前学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に記した『哲学と宗教全史』が「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)受賞後もロングセラーとなっている。
宮部みゆき氏(直木賞作家)「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります
池谷裕二氏(脳研究者・東京大学教授)「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本
今回はベストセラー作家であり書評家でもある楠木建氏(一橋大学ビジネススクール特任教授)が本書を読み解く。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

【一橋大学特任教授が教える】2000年前の「ストア派」と「ニーチェ」の驚くべき共通点・ナンバー1Photo: Adobe Stock

エピクロスの対極を行く
「ストア派哲学」とは?

 紀元前のヘレニズム時代に生まれ、現在に至るまで影響力を持っている思想の一つにストア派哲学がある。

 創始者はゼノン(BC335~BC265)。
 ゼノンの哲学は、エピクロスの対極を行く。

 本連載で以前触れたように、エピクロスはパトス(情念)から遠ざかることで精神的な安定を追求し、平穏で静謐な生活を幸福と考えた。

 ゼノンは違う。
 幸福とは徳を追求した結果だと考えた。
 つまり、パトスを回避するのではなく、パトスに動揺しない不動心こそが重要となる。

 心の平静はそれ自体を追求しても得られない。
 人生の徳を実践することで結果的に得られるものだというのがゼノンの考えだった。

 ストア派は徳を自然と合致した状態であるとした。
 万物を動かす根源にある自然の理法と矛盾なく合致する人間の性格と行動があるはずだ。

 それがすなわち善であり、反するものが悪となる。

 人間は本来的に自然の中でロゴス理性を与えられている。
 だから、誰でも意識的に得を追求することは可能となる。

 人間は皆等しく自然の秩序の中で生きており、その意味では平等だ。
 与えられた人生を堂々と生きればよい。

 自らの運命を認め、それを真正面から受け止めてなお積極的に生きる――これがストアは哲学の思想だった。

ニーチェは何を唱えたのか?

 ずっと近代に下った19世紀、「神は死んだ」と言い切ったニーチェ(1844-1900)が登場した。

 世界に絶対的なものは何もない。
 そう考えると、人はどうなるのか。
 頼るものがなくなる。虚無と向き合うことになる。

 ニーチェの哲学は、一見するとニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまうように見える。

 しかしニーチェは虚無を突破しようとした。
「神は死んだ」という事実を受け入れる。

 世の中は虚無であるとしても、それでも人間の中には、前を向いて生きて行くという能動の姿勢でニヒリズムを受け入れる人がいる。

 ニーチェはニヒリズムを受動的なものと能動的なものとの二つのタイプに区別している。

 マルクスが歴史は理想的な方向に進歩していると考えたのに対して、ニーチェは異なった歴史観を持っていた。

 歴史は永劫回帰している。
 人間はさほど賢くなく、同じ過ちを繰り返してきた。
 歴史は直線的に進歩するのではなく、永劫に回帰する円環だという考え方だ。

2000年前のストア派とニーチェの共通点とは?

 代替不可能な1回性の連続が一人ひとりの人生であり、それは人間の運命である。
 その運命を敢然と受け入れて前向きに生きて行く
 これが能動的なニヒリズムだ。

 時間も歴史も進歩しない。
 その中で運命を正面から受け止める人間、この強い人間をニーチェは「超人」と呼んだ。

 超人の理念は力への意志にある。
 強くありたい、立派でありたい、そのように生きるには頼りにすべきものは自分自身しかない。

 力への意志によって世の中は動くのだ、とニーチェは考えた。

 2000年以上前のストア派とニーチェの哲学には驚くほどの共通点がある。

 人間の思索は同じことを繰り返していることが分かる。
なぜか。
 私見では、肝心の人間の本性なり本能がそう簡単には変わらないからだ。

 哲学や宗教もまたニーチェの言う「円環」の中にある。
 全てに決着を付ける絶対的な思想は生まれなかったし、これからも出てこないだろう。

 本書『哲学と宗教全史』は、古代ギリシャのデモクリトスやプラトンに始まり、近現代のニーチェやウィトケンシュタインまで、数千年の思想の歴史を解説している。

 どの思想が最も優れているか、という優劣の話ではない。
 それぞれに違った考え方がある。

 哲学と宗教の全史を俯瞰した上で、著者である出口さんは個人的にはストア派の考え方に憧れてきたという。

 自分に合う服のスタイルを見つけるように、自分にフィットした思想が何かを知ることが大切だ。それが人生を豊かにする。

 そのためには全体を俯瞰する地図が必要だ。
 本書はその意味での人智の地図を提供している。

 それぞれの思想についてより深く知りたい人向けの読書ガイドも充実している。手元に置き、繰り返し読む価値がある一冊だ。

(本原稿は、出口治明著『哲学と宗教全史』に関する特別投稿です)