悲劇や怪談は心の浄化のためにある。

 悲しい話は受け手の心の「浄化」のためにあるものだった。悲しい話、あるいは怖い話を聞いて、感情を大きく揺さぶられることで、自身の心のなかにわだかまった感情を吐き出したり収めたりできる。泣いたり、大きな声を出したりすることで、ストレス発散になるわけだ。

 さらに自分はこうならなくて良かったとホッとすることもあれば、悲しい登場人物を思いやることにもつながっていく。

 傅が銀二郎を「心根の優しい男なんじゃろう」と言うのは、まさにそれで、銀二郎は幼い兄弟を思いやる気持ちがあると感じているのだろう。だからこそ、あんなに貧しい松野家の婿として忍耐もできるに違いない。

 トキが落ち込んだとき、怪談を聞くのも、まさに「浄化」のためだといえるだろう。

 恨めしいこともあれば、いいこともある。トキは怪談を語る婿ができて、傅はトキと一緒の時間が持てた。ここまで来たら、いい加減、傅とトキの関係を明かすしかない。

 最初にその秘密を知ったのは、銀二郎だった。

 あの狭い、家のなかで、司之介とフミが語っていた真実を聞いてしまう。

 それは――。

 って、もはや伏せることもないとは思うが、ここは書かないでおく。

 この場面での銀二郎の動揺と、焦る司之介とフミ、責める勘右衛門(小日向文世)の迫力のある演技は見どころがあった。吹きすさぶ風の音も効果的だった。

なんで司之介と傅は“永遠の宿敵”なの?おトキの「おじさまが父上だったら良かったのに」が純粋すぎてツラい〈ばけばけ第13回〉

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