四季のうつろいを感じさせるこの屋敷は、八雲にとって、ことのほか居心地のよい住まいとなります。

 浴衣にゲタで庭を歩いて、喜んでいました。春が過ぎ、初夏になってくると、池ではカエルの合唱が響きます。

 八雲はどういうわけかカエルが大好きで、ヘビに残りものの肉片を投げ与え、狙われたカエルを救ってやりました。のそりのそりと出てくる、ごっついガマガエルも友だちでした。

目が見えないハンデが
音の感覚を研ぎ澄ませていく

 後年、セツが語ったこの頃の追憶が『思ひ出の記』(編集部注/小泉セツの手記)に収録されています。

〈まず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いていることなどは、楽しみの一つでございました〉

 カナカナカナ……と余韻を残して鳴くヒグラシを「トワイライト・ミュージシャンズ」と呼び、親しんでいました。ツクツクボウシやキリギリス、松虫の声に耳を傾けていました。

 日本には虫やカエルなど小さな生き物に畏怖の念を抱く風土があります。お盆の頃には虫たちが祖先の魂を運んでくる、という言い伝えを聞かされると、腑に落ちました。

 そして、日本の人々の心根に祖先崇拝がある、と思い至ります。この想念は、八雲の日本人の精神論の軸となってゆきます。

「私はすでに自分の住まいが、少々気に入りすぎたようだ」

 八雲は『知られぬ日本の面影』にそう記しています。

 松江では山鳩がテテポッポ、カカポッポと鳴く、というので、八雲もテテポッポ、カカポッポとまねをして、これでいいだろうか、とセツに尋ねました。山鳩の声音をたくみにとらえ、得意げな表情を浮かべていたに違いありません。

 16歳で左目の視力を失い、右目の視力も衰えていました。それだけに、音への感覚がひときわ鋭かったのです。

 僕はその武家屋敷(現・小泉八雲旧居)の隣にある小泉八雲記念館の館長を務めています。市内の自宅から自転車で通っているのですが、夜が深くなると両目を光らせるタヌキを時折見かけます。イタチ、それにサルが現れたこともありました。