八雲の描いた風景からは
まるで音が聞こえるかのよう

 2025年に至っても、こんなに豊かな自然が残っているのですから、明治のセツと八雲の暮らしはたくさんの生き物たちとともに営まれていた、と言っても過言ではないでしょう。

 そんな松江をはじめとする出雲地方について「神々の国の首都」と八雲は表現しました。

『知られぬ日本の面影』(1894)は、来日後第1作目となる紀行文です。何かと感動させられる島根での日々や風物、そこに住まう人々の印象を、日記のようにみずみずしい文章で書きとめています。

 この作品におさめられた随筆「神々の国の首都」では、松江の朝の様子が鋭敏な聴覚でとらえた「音」とともにつづられ、目に映る風景が絵画のように描写されています。

 朝は臼に入れた米を大きな杵でついて精米する音に始まり、響き渡るお寺の鐘の音、「ダイコやい!カブやカブ!」と売り歩く八百屋の声……。

 そんな声に起こされて障子を開け放つと、宍道湖の小舟に乗る漁師たちが朝日にむかって柏手を打って祈る姿。それらの情景が目に染みました。

 出雲大社には松江到着の2週間後に最初に訪ねています。親友となった島根県尋常中学校教頭の西田千太郎(編集部注/ドラマ「ばけばけ」で吉沢亮が演じる錦織友一のモデル)の紹介状もきいたのでしょう。千家尊紀宮司とすぐに打ち解けあい、西洋人として初めて本殿への昇殿が許されました。

 当時、杵築大社と呼ばれた出雲大社へは宍道湖を蒸気船で横断し、そのあと人力車を乗り継ぎました。八雲には船のエンジン音が、祝詞のようにこう聞こえるのでした。

「コト・シロ・ヌシ・ノ・カミ オオ・クニ・ヌシ・ノ・カミ」

徹夜の宴会から旅行まで
セツと過ごした夏の日々

 1891(明治24)年、セツと八雲が暮らし始めて最初の夏は、ふたりにとって忘れられない日々が待っていました。

 7月、親友西田と再び出雲大社を参詣します。千家宮司は再び歓待してくれ、2週間も滞在します。