この地を大いに気に入り、チェンバレンには「八橋を発見しました」と感動をつづり、西田千太郎へは「八橋の人々は想像できないほど親切で正直で、数人の友人ができた」と書簡で明かしています。
近くの逢束というところでようやく盆踊りを見物できたのですが、珍しい外国人に興奮した地元の人に砂をかけられ、ほうほうのていで退散する、というハプニングもありました。
そんな目に遭いながらも、日本海の青が胸に染みました。海をこよなく愛する人なのです。
『セツと八雲』(小泉 凡・著、聞き手・木元健二、朝日新聞出版)
そこでアイルランドで身につけた横泳ぎを教える代わりに、洗濯板で波乗りをする子どもたちにその楽しみ方を教えてもらいました。心から楽しかったのでしょう、西田への書簡にはこうあります。
「(地元の人は)打ち寄せる高波の中で海に出て、波の峰に乗り、板に乗ってバランスを取って戻ってくるのです。まるで稲妻の閃光のように浜に跳び込んでいきます。わたしは、これを身につけようとしてやってみたのですが、うまくいきませんでした」
旅館に戻ればふだんとは違い、家事から解放されたセツの話に耳を傾ける。幸福な想いに包まれました。
今ではその八橋の海岸に小泉八雲・セツ来訪記念碑が建っています。130年前と変わらず、日本海の水平線が一望でき、寄せては返す波の音が響いています。







