《「望」の人が特攻に出されて土方さんが出されないというのは、これはおそらく成績だと思うんですよね。予備学生時代の成績。
土方さんは、13期を卒業した4753名のなかで、成績が31番だったんですね。いわゆる恩賜の文鎮というのを授与されているんです。やはり海軍としても、そこまで優秀な男を1回の特攻で死なせるのはもったいないというのがおそらくあったと思うんですよ。
土方さんの場合は操縦技量も認められていたようなので、やはりそういう人は特攻に出すよりも、教官として後進を育ててほしいとか、戦闘機隊で腕を振るわせた方がいいとかいった判断があったのではないかと思います。》
土方さんは、13期を卒業した4753名のなかで、成績が31番だったんですね。いわゆる恩賜の文鎮というのを授与されているんです。やはり海軍としても、そこまで優秀な男を1回の特攻で死なせるのはもったいないというのがおそらくあったと思うんですよ。
土方さんの場合は操縦技量も認められていたようなので、やはりそういう人は特攻に出すよりも、教官として後進を育ててほしいとか、戦闘機隊で腕を振るわせた方がいいとかいった判断があったのではないかと思います。》
わずかな成績の差が
若者たちの運命を分けた
昭和19年5月31日付の海軍辞令公報・第千四百八十九號には、予備学生13期生が少尉に任官した際の辞令が掲載されている。
そこには4753名分の名前とそれぞれの電報符号が書かれており、予備学生につけられる「ヨヒ」という符号に続いて一〇八二六から一五五七八までの番号が振られている。
最初の一〇八二六が13期生で一番成績が良かった者であり、そこから成績順に辞令が並んでいる。元山空で最も好成績だったのは、一〇八三五の小久保節彌少尉で成績は10番。次いで、土方少尉が31番、大塚晃一少尉が111番となる。
一方、特攻隊員に選ばれたなかでの元山空の最高順位は山下省治少尉の196番。4753名という母数を考えると変わらず好成績だが、神立さんの推察が正しければ、このわずかな違いが両者の運命を分けたことになる。
《残酷な話ですけども、ここは成績で線を引いたというのが一番自然な見方だと思いますね。海軍というところは何事も成績順ですから。
同じ階級の同期がふたりいたら、成績の上の方が指揮官になるという規則もありますし、食卓のテーブルまで成績順に並んでいます。成績を基準に選んだと考えるのが理にかなっていると思います。》
同じ階級の同期がふたりいたら、成績の上の方が指揮官になるという規則もありますし、食卓のテーブルまで成績順に並んでいます。成績を基準に選んだと考えるのが理にかなっていると思います。》
『“一億特攻”への道 特攻隊員4000人 生と死の記録』(大島隆之、文藝春秋)







