それでも「熱望」と書いて
提出した土方さんの想い

 だが土方さんは、爆弾を抱えて突っ込むなんてまっぴらごめんだと考えていたにもかかわらず、「否」でも「望」でもなく、「熱望」と書いて提出することを決意する。

 その旨を記した志願書を、誰にも出会わないように司令室まで持って行き、机の上に置いて出てきた時、大きく胸をなでおろすような気持ちになったという。

《筆者 特攻には行きたくないのに「熱望」と出したのは、なぜなんですか?

 これはいわゆるmust beでしょうね、そうせねばならぬって。私も海軍の士官で、部下たちが行くんだから行かねばならぬっていう、そういう気持ちでしょうね。本心は嫌ですよね。絶対特攻なんか行きたくないですよね。でもしょうがないわけでしてね、行かなければ。

 それにその時は、まだ技量がそこまで達してないから、特攻でぶつかるより使い道がねえんじゃないかと自分で思ったんじゃないかな。とにかく俺たちが死ぬことで、少しでも日本が有利な講和条約が結べれば……。

 まあ、そんなもんだろうな。平家の壇ノ浦じゃないかな。負け戦と分かってから真剣になって戦う。嫌だよってわけにいかないからね。》

選抜の基準は「熱望」の
程度ではなかった

 土方さんの所属していた元山航空隊の志願名簿も、今回見つかった綴りの中に含まれていた。予備学生出身の少尉たちの名前が38名続く。土方さんの名前はその2番目に書かれていた。「志望程度」の欄を見てみると、証言通り「熱望」だった。では、これらの志願者のなかから誰が選ばれて前線に送られたのか。予備学生出身の士官からは14名。土方さんを含む最初の3名は選ばれておらず、その後の10名から9名がまとめて選ばれていて、残りの5名は飛び飛びで指名されている。

 不思議なのは選抜の基準だった。選ばれた予備学生14名の「志望程度」を見ると、「熱望」としていたのはわずか4名で、残りの10名は「望」だった。

 一方、選ばれなかった24名のうち、土方さんを含め7名が「熱望」としていた。基準が「熱望」かどうかではなかったことを意味している。「学歴」でも「家族状況」でもなさそうだ。出身校に共通点があるようには見えず、長男であろうが関係なく選ばれている。

 そこで相談したのは、30年以上にわたり海軍の搭乗員に取材を続けてきた、作家の神立尚紀さんだった。

 2006年、今から20年近く前に私が戦争体験者への取材を始めたころから何かにつけお世話になり、アドバイスを求めてきた先達で、そもそも土方さんを私に紹介してくれたのも神立さんだった。待ち合わせをして、分厚い資料の束に目を通してもらった。