やがてこんどは、どこからともなく、むせるような草いきれにまじって、あの吐き気を催すような腐乱死体の臭いが鼻をついてきます。

「またか……」と顔をしかめる間もありません。騒々しい羽音、鋭い啼声。白日夢のようなすさまじい場面が展開してくるのです。兵隊の屍にむらがる禿鷹の大饗宴です。

「あんな気味の悪い、小癪にさわる奴はありませんね。ジロッとこっちを見て、そのうちお前もこんなにして食ってやるぞというような顔をしやがるんですよ。つい1発ぶっぱなしたくなりますね。なにしろ石をぶっつけたくらいじゃびくともしやがらねえんだから」

 伝令のK上等兵の口癖ですが、こればかりは何度お目にかかっても平気になれなかった、ビルマ戦線最悪の思い出の1つです。

マラリアに感染した少女が
助けを求めにとび出した

 昭和17年5月のことです。快速平井兵団に配属されて、北部ビルマの要衝ラシオから更に奥地へ、この禿鷹とマラリアの道を前進していた私たちの機械化野戦重砲中隊は白昼、ふいにジャングルからとび出してきた2人のビルマ人少女によってとめられました。

 初めて見る日本兵への怖れも忘れたようなその必死の姿には、何か容易ならぬものが感じられました。

「助けて下さい。みんな死にます。マラリアで、みんな死にます」

 涙で顔をくしゃくしゃにしながら16、7くらいの年かさの娘が英語で助けを求めるそばで、12、3の妹らしい方が道の傍を指さしながら、わけのわからぬ言葉を口走りつづけているのです。

「お父さんもお母さんもマラリアです。弟たちはみんな死にました。赤ん坊も死にそうです。どうか助けて下さい」

 そういう娘たち自身の顔もマラリア患者特有の無気味に黄色い黄疸症状を呈しています。私は部隊に小休止と警戒配備を命じた後、曹長と伝令をつれて娘たちについて行くことにしました。

 道路から少し茂みの中に入った所に、こわれかかった掘立小屋がありましたが、一歩その中に足をふみ入れた私たちは思わず息をのんだのです。