火箸や包丁まで投げる父から
真冬の戸外へ裸足で逃げた

 父は毎晩、安物の焼酎をあおりました。飲むと、どんどん目がすわってくる。母と私ら3兄弟は正座してそんな父をただ見ている。ラジオだけが流れていました。緊張の時間です。

 人気歌手のディック・ミネ(1908~1991年)の『人生の並木路』が流れると、父は涙しながら歌うんです。妹と苦労した広島での幼少期を思い出すんでしょう。こうなれば大丈夫。そのまま寝てしまい、みんな一安心です。

 ところが週に1、2回は爆発しました。「なんや、このまずい飯は!食えるかあ!」と母の顔にみそ汁を投げつけ、ちゃぶ台をひっくり返す。母はたまらず、「堪忍しておくれやす」と悲鳴を上げます。「貴様ぁ」と叫びながら子どもたちを殴るわ蹴るわ、手がつけられない暴れようでした。火箸や包丁まで投げつけて、そらもうムチャクチャです。みんな裸足で表に飛び出しますが、雪降る冬なぞ、足が冷たくて冷たくて、ほんまに大変やった。

 当時、三橋美智也(1930~1996年)の『母恋吹雪』(作詞者・矢野亮)という歌が流行っていました。「酔ってくだまく 父さの声を/逃げて飛び出しゃ 吹雪の夜道」。なんてええ歌や。三橋は我が家の景色を見とんのかい。そんな軽口をたたきながら、母子で慰め合いましたねえ。

 そんな父でしたが、外面は良かった。近所の人はみな「桑原はんは、ええお父ちゃんや」と言っていた。酔ってちゃぶ台をひっくり返すおやじなんて、あの頃は珍しくもありませんでしたから。

激昂した父に「殺される」と
思った強烈な出来事

「殺される」と思ったことがあります。小学校の成績表に、先生が「早熟である」という所見を書いたんです。それを見た父は「お前、学校で男や女やしよるんか!」と激高し、私を近所の鉄橋まで連れて行きました。手足をグルグルに縛られ、欄干から身を乗り出すような姿勢にされるんです。すぐ下を阪急電車が通り、パンタグラフがバチバチッと鳴っていた。思わず「死ぬ!」と叫んでいました。あんなに怖かったことはありません。