おやじ、何人殺しとんねん……。こんな、とんでもない経験しとったのか。苦労してたんやなぁ、と。もう、ショックでした。
揚子江で船から下りた瞬間に銃撃され、さっきまで隣で話していた戦友が鉄かぶとを撃ち抜かれて流れていったそうです。民家に押し入り、水がめに隠れていた中国人を引きずり出した。上官に「桑原やれ」と命じられたが弾が出ない。ほっとしていたら、「弾が出ないなら銃剣で刺せ」と。その時の手の感触が、書いてありました。
強烈だったのは、中国軍のトーチカ(コンクリート製防御用陣地)を攻撃した時の体験談でした。山の上にあるトーチカに向けて攻め上っていくのですが、上からはバンバン撃たれる。弾も水も補給がないまま攻撃を続け、味方もほとんど死んでしまった。ようやく相手の陣地に飛び込んだら、中国兵が8人か10人か、死んでいたそうです。足を鉄の鎖につながれて逃げられない状態で。
その光景を見た父は「愕然とした」と記していました。「中国兵も日本兵も、2等兵は大変や」というような同情を、従軍記に書き残しているわけです。そんなことが次から次と、つづられていました。
父は戦争で変わってしまった
ということの意味が分かった
言語に絶する凄絶な経験が全部、おやじのトラウマになって、人間変わってしもたんやなあ。ようやく父の気持ちの一端が分かった。こら、あんな乱暴者になってしまったのも、しゃあないわと。「戦争で変わらはった」という母の言葉が、初めて腑に落ちたんです。
陣中日記は私の人生の転機でした。「最低のおやじ」と、戦争トラウマがつながった。あの本に出合わなければ、いまも許していないでしょう。兄にも「こんなこと書いとるで」と教えました。仰天していましたよ。
ラジオのプロデューサーに話したら、「番組でやりましょう」と勧められました。2014年に「これが戦争だ!親父の陣中日記」というコーナーを設け、従軍記を朗読しました。ただ読むだけなら3週間もあれば十分でしょう。
でも、父の思い出をあれこれ語りながら読んだので、1日1ページしか進まない日もあったなあ。読み終えるのに7~8カ月かかりました。
『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(大久保真紀 後藤遼太、朝日新書)
たくさんの反響がありましたよ。「うちも同じです。父は戦争の話を一切しませんでした」という声ばかり。元兵士はみな、家族に話すのもはばかられるような経験をしたんでしょう。「父は人が変わったようでした」という人も大勢いた。戦争から帰った兵隊は何百万人といます。いろいろな家庭で、うちと同じようなことがあったんちゃいますか。
母は生前、言っていました。「戦争で死んでしまった兵隊やその家族は可哀想や」「生きて復員した兵士も、その家族も地獄や。戦争いうのは、生きるも死ぬも地獄や」と。ほんま、その通りですわ。







