中学生になり体も大きくなると、私ら兄弟は殴られることはなくなりました。ただ、母だけは別でした。ボコボコにされて「お岩さん」のようになった母の顔は、年老いるまで何度見たことか。

 中学の頃だったかなあ。近くの風呂屋で体を洗っていてふと鏡を見たら、いつの間にか父が後ろにいたんです。思わずギョッとしていたら、父が「お前、きれいに体洗うな」と一言つぶやきました。それがほんまに、生涯一度の褒め言葉でした。いまでも風呂に入ると、思い出します。

父の死で家族は胸をなで下ろし
母は弔電を祝電と言った

 父は76歳で亡くなりました。布団屋の仕事で配達中にバイクで転び、その2週間後のことでした。内臓もボロボロだったようです。「ようやく死んでくれたか、もうええわ――」。当時はそれしか思いませんでしたね。

 葬式の前でバタバタしている時に、母が「征平、祝電どこいった?」と聞いてきました。「いやいやお母ちゃん、祝電ちゃう。弔電やで」と思わずツッコんだら、「祝電やがな。うれしいやろ。父ちゃん死んで」と言うんです。確かに、誰も泣いていませんでした。

「お母ちゃん、お父ちゃん死んでやっと安心しよったな」「ついに本心出たな」と兄弟で大笑いしました。ほんまに、なんでもっと早く言わなかったのかなあ。母は「お父ちゃんは必ず変わる」と最後まで言い続けていましたから。

 2012年、その母が亡くなりました。遺品を整理していたら、1冊の本が出てきました。表紙に「陣中日記桑原栄著」と書いてある。父は生前、戦争の話は全くしませんでした。だから、父の従軍の記録を見てびっくりしてしまった。

 どうやら、戦地で紙切れに書きためた従軍記を、母が出版社に持ち込んでひそかに製本していたらしいんです。数十冊作って親戚や知人に配り、1冊だけこっそり手元に置いていた。私が見つけたら、すぐ捨てられてしまうと思って隠していたんでしょう。

父は痛々しい戦争での体験を
陣中日記に残していた

 200ページほどの本でした。一気に読みました。後にも先にも、あんなに速く読んだ本はありません。