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1944年、北九州上空で、日本の戦闘機が初めてB-29へ特攻(体当たり)した。米爆撃機B-29に矢のように突っ込んでいったのは、「屠龍」。その決定的瞬間を、3人の少年が地上から見ていた。人の死を目の当たりにした衝撃は、幼い彼らにどんな影響を与えたのか?北九州市の公募に寄せた3人の手記から、特攻の重みを読み解く。※本稿は、戸津井康之『生還特攻 4人はなぜ逃げなかったのか』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
目の当たりにした特攻の瞬間を
生涯忘れられない15歳の少年
今から10年前。
終戦から70年の節目を機に、北九州市が、広く市民に呼びかけ、戦争体験者から手記を募った。そうして集まった手記を編集し、2016(平成28)年3月、証言集『後世に語り継ぐ北九州市民の戦争体験』として刊行された。
このなかに、「体当たりによる空中からの3機の墜落」という題名の手記が掲載されている。
手記を書いたのは加藤芳人(2016年の執筆当時86歳)。
《昭和19年(1944年)8月20日、一片の雲もない蒼空を茜色に染め始めた5時半頃のことです》
71年前の記憶を遡った加藤の手記は、こう始まる。
86歳となっても色褪せない鮮明な記憶に基づいた言葉で綴られていく。
この加藤の目撃談こそが、野辺重夫軍曹と高木伝蔵兵長が搭乗する「屠龍」が、八幡空襲でB-29に体当たりした、今から81年前の“あの特攻”のことである。
《北九州地方の空襲のB29(アメリカ軍の爆撃機)編隊の外側の1機をめがけて矢のように突っ込んでいった日本の戦闘機がありました。それは高い空中の一瞬の出来事でした。
体当たりを受けたB29は、紅蓮の炎を空高く吹き上げ、錐揉み状態で落下しました。どうしたのか横にいた1機は、「フワフワ」と空中滑空しながら落ちて爆発炎上しました。この間に搭乗の飛行士5人が現在の八幡西区の穴生や永犬丸方面に落下傘で降下し、アメリカの兵は捕虜となりました》







