《その時、足に激痛が走り、見ると足に包丁が突き刺さっていました》
すぐに末永はリヤカーへ乗せられ、近くの火薬工場内にあった診療所で応急手当を受けたという。そして、診療所を出たところで、担架に乗せられた米兵とすれ違う。
《その時の米兵の顔が何とも言えない悲しそうな目で私をジッと見て「すまない」という気持ちがにじみ出ていました。今でもその時の顔は忘れられません。》
米爆撃機に特攻するのも
米兵を助けるのも正義
それから戦後70年。平和な日本でこの手記を書きながら、末永はこう語る。
《今もアメリカ兵を助けた時に負傷した傷は痛みますが、あの時のアメリカ兵の顔は一生忘れることはないでしょう》
野辺と高木が、北九州市民の命を護ろうと義憤に駆られた正義感あふれる日本陸軍の若き戦闘機乗りなら、末永も、また、1人の米搭乗員の命を護ろうと、体を張る正義感にあふれる日本の少年だったのだ。
「屠龍」で体当たりし、北九州市民の命を護ろうとした野辺と高木。
『生還特攻 4人はなぜ逃げなかったのか』(戸津井康之、光文社)
「屠龍」によって命を護られ、その体当たりを目撃していた加藤や芳賀、末永たち北九州市民。北九州市民を空襲で焼き尽くそうとしたが、「屠龍」の体当たりで撃墜され、日本の少年によって命を護られたB-29の搭乗員……。
ひとつの体当たり(=特攻)が、数多の人生に影響を与え、命の連鎖を引き起こしていった、この史実を知るとき、彼らが取ったすべての行動、行為は、それぞれが護るべき命のために、己の命を懸けた戦いだったのだ……と今、思い知らされる。
正義か悪か。どちらが悪いのか?立場を変えてみれば、戦争を一義的にとらえることなどできないことが分かる。
そこには、もはや善悪という観念など入り込む余地などなかったのだ。
戦争という非常事態のなかで、それぞれが己の判断で成すべき行為を行った。そうとしか言いようがない。







