こうした潮流は、当然ながら米英にも波及しつつある。植民地支配にたいする責任追及の声は、今後さらに強まることが予想される。
そしてそのとき、過去の被害の規模に照らしてみれば、米英が問われる責任の重さは計り知れないものとなるだろう。
そうした事態になれば、日本が敗戦によって早期に植民地を失い、すでに一定の補償措置も講じてきたという歴史が、結果として肯定的に評価される可能性すらある。
皮肉なことに、米英と並ぶ“勝ち組”としての地位が、将来的にはむしろ重荷や不利益としてのしかかるというシミュレーションも成り立ちうるのだ。
100年前に植民地放棄を説いた
石橋湛山の驚くべき先見性
それならば、「日本が植民地を放棄していれば、戦争にいたらなかったのではないか」という意見はどうだろうか。その代表的な論者としてよく知られているのが、東洋経済新報の記者をしていた石橋湛山(戦後に首相)である。
石橋がこの主張を展開したのは、第一次世界大戦後、中国のナショナリズムが勃興していた時期だった。当時の日本では、この動きにどう対峙するかが政治的な課題となっていたが、石橋はそこに一石を投じ、「植民地をすべて放棄すべき」という提案を行った。
その主張はこうだった。
ナショナリズムの高まりは、歴史の流れとして避けがたい。このまま朝鮮・台湾・樺太・満洲といった植民地や勢力圏を保持しようとすれば、なんらかの紛争に巻き込まれるのは時間の問題となる。
さらに、日本の植民地経営は、資源の面でも採算の面でも大きな利益をもたらしていない。そのため、むしろ貿易に専念したほうが国益にかなう。
したがって、日本はみずから植民地の放棄を決断し、積極的に自由貿易に舵を切るべきだ。そうすれば、無用な国防の負担を回避できるだけでなく、周辺国からは肯定的な評価を得ることができ、米英にたいしても道徳的に優位な立場を築くことができるだろう――。これが石橋の主張の骨子だった。







