少し長くなるが、その有名な社説「一切を棄つるの覚悟」(『東洋経済新報』1921年7月23日号)から、その一節を引用しておこう。
例えば満洲を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか、また例えば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保つを得ぬに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向って信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に、日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。
まことに堂々たる論陣であり、その先見性には驚かされる。わたしも思わず頷き、「本当にそうしていればよかった!」と嘆じてしまう。
戦争に突き進んだ当時の日本を
いまの視点で断罪してはならない
しかし、それはやはり今日の視点にすぎない。たしかに日本は戦後、貿易立国として経済成長を遂げたが、それは東西冷戦のはじまりと、日本が西側陣営に組み込まれたことが大きく影響している。
米国は、日本を資本主義陣営の防波堤と位置づけ、盛んに経済援助や技術移転を行った。こうした支援体制が整っていたからこそ、日本は高度経済成長を実現できたのだ。
『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社)
だが、国際情勢がわずかでも異なっていたならば、このシナリオが成立したとは限らない。現在では、世界は自国第一主義の傾向を強め、国際協調の理念すら危うくなっている。
そうした風潮がさらに強まれば、石橋の提案はかえって理想主義的な空論としてあらためて退けられるかもしれない。
ようするに、歴史とはつねに現在からの解釈であり、現代の価値観が揺らげば、その評価もまた変わりうるということである。
したがって、単純に「ああすればよかった」と過去を裁くことは危うい。時代が変われば、かつての最善策が逆に悪手とされることもあるからだ。それゆえ、当時のひとびとを愚かだったと断じることは慎まなければならない。







