「お金の不安」は、いつから「自己責任」になったのか
――先ほど、「幻想」というフレーズが出てきましたが、新刊にこのフレーズが用いられています。「お金の不安が幻想である」ことをテーマに執筆しようと思った背景を教えてください。
私自身、あまり裕福ではない家庭に育ち、大学入学で上京した後も苦労してきたので、お金に関する不安はいつも身近にありました。いろいろある不安の中で、「お金の不安」が厄介なのは、孤独な不安だからです。
高校生の頃に阪神淡路大震災を経験しました。あのときは不安をみんなで分かち合い、できることはみんなで協力して乗り越えていこうという雰囲気がありました。健康の不安や仕事の不安なども誰かに相談したり励ましあったりできます。
でもお金の不安だけは違います。他の誰かに頼れない、頼ってはいけない気がして、ひとりで抱え込みやすい。お金の問題は自己責任とされてきたのです。
「お金の不安」が膨らんだ背景には、老後の問題があります。けれどそれは、本来“お金の問題”ではなく、“人口の問題”でした。働く人が減り、支える側が少なくなることで社会の負担が大きくなっている――それが根本原因です。
本来なら「どう支え合うか」を社会全体で考えるべきところを、「老後の資金をどう貯めるか」という“お金の不安”にすり替えてしまった。そしてその“不安”が、いつの間にか「自分の努力でなんとかしなければ」という“自己責任”の意識へと変わっていったのです。社会全体の課題が、個人の焦りや孤立として押し付けられているのです。その影響は、若い世代にも広がっています。講演先で大学生から「老後が不安なので、早く資産運用しないとまずい気がしている」「だから奨学金をまずは学生のうちに返して、お金を貯めて資産運用したい。投資の勉強について教えてほしい」と質問されることも一度や二度ではありません。
今の社会では人手不足の影響もあり、若い世代が活躍する場はより一層増えていくはずです。就職氷河期のような時代とは違い、働けば報われる環境が整いつつある。それなのに若者が「老後の不安」を口にする社会は、どう考えてもおかしい。
もちろん、彼らの思考がおかしいのではなく、「真面目に働いて稼げなかったら失敗」と思わせてしまう社会の空気こそが問題なのです。
自己責任の空気の中で、多くの人が「自分の努力だけで不安を解消しなければ」と苦しんでいます。人手不足で社会の仕組みそのものが回らなくなりつつある今、もはや“自分の頑張り”だけではどうにもならない問題が増えています。
「自己責任だ」「NISA制度があるんだから、勉強してお金を増やせばいい」。そんな言葉が不安をさらに孤立させてしまっているのです。
大切なのは、どこまでが自分で解決できて、どこからが自分ではどうにもならないか、その線を引くことです。そしてひとりで抱えきれない部分をどう分かち合い、どう協力できるかを考えること。たとえ解決が難しい問題でも、不安を共有することで孤立は防げます。立ち向かうべき問題の輪郭が見えないまま、「とにかく自己責任でお金を貯めておけばいい」と言われる社会は、はやりしんどい。そう感じたことが、今回の執筆のきっかけです。







