いくら猪木の名前があるとはいえ、デビュー2年目でプロレス界での実績もない小川を興行の柱とするにはまだまだ無理があったのだ。

 そんな状況下で唐突に組まれたのが99年1・4東京ドームでの新日本プロレスVS UFO対抗戦。橋本真也VS小川直也は、計3試合組まれた対抗戦の大将戦という位置づけだったが、事前の注目度は決して高くなかった。

 同カードは小川のプロレスデビュー時に97年4・12東京ドーム、5・3大阪ドームで連戦が行われている。初戦で小川が勝ったことで大きな話題となったが、その後はとくに橋本との因縁関係はなく、このタイミングで組まれる必然性があまり感じられなかったからだ。

 ところが、そんな注目度の低い一戦が、その後、25年以上も語り続けられる不穏試合となってしまう。

「1・4事変」が起こった
理由は何だったのか

 のちに「1・4事変」と称されるようになるこの一戦で、小川のセコンドだった佐山は、試合後は「黒幕」とも言われたが、小川の“暴走”は佐山にとっても想定外のことだった。

「(異変に気づいたのは)最後の最後です。オーちゃん(編集部注:小川のニックネーム)が倒れてうつ伏せになった橋本選手の顔面を蹴っ飛ばした時、『あっ!』と思いました。あれはプロレスラーが絶対にやっちゃいけないことです。無防備な相手の頭部に強い蹴りを入れるというのは、相手に大ケガをさせるし、死に至らしめることもある。オーちゃんはよくわからずにあそこまでやってしまったと思いますが、僕はプロレスの裏も表も知っているからこそ、橋本選手には、すごく申し訳ないことをしたなと思います」

 では、UFO側の本来の狙いはなんだったのか。

「僕が猪木さんと事前に話していたのは、この試合はナチュラルでいこうということです。本来のストロングスタイルに戻すということですね。

 当時、オーちゃんが悩んでいたのは、橋本選手にかぎらず、いろんな選手とやる時に、オーちゃんはまだキャリアが浅いから、プロレス業界では先輩の対戦相手の意向に従う必要があったことです。試合が相手の意向どおりの展開になってしまうことも多い状況だったので、オーちゃんとしては面白くない、やってられない、と。