佐山は当初、どんな結末を想定していたのだろうか。
「フィニッシュまで決めずにグチャグチャにしようと考えていました。オーちゃんがナチュラルでいって、橋本選手の思うとおりにさせなかったら、向こうの陣営が文句を言ってくるだろうから、そこで僕たちが入っていって成立させようという作戦だったと思います。
猪木さんもある程度の騒動になることは予想していたと思いますが、あそこまでになるとは思ってなかったはずです。ただ、猪木さんは『何かあったら出ていく』と言ってくれていました。結局、僕や(ジェラルド・)ゴルドー選手がいたので、猪木さんは(漫画『1・2の三四郎』のラバー)マスクを被ったままで、リングに出てくるまでもなかったんです」
場を収めたのは猪木ではなく
新日本の長州力だった
本来ならば、両陣営が小競り合いになるなかで猪木が登場し、強権発動で再戦を指示。もしくは、さらなるUFOと新日本の対抗戦を狙っていたのかもしれない。しかし、それをやるにはあまりにもリング上が殺気立ち、混乱しすぎていた。
結局、最後にその場を収めるべく現れたのは、新日本の現場監督である長州力だった。
長州はリングに上がると、コーナーにいる小川に「これがお前のやり方か?」と詰め寄ると、顔面にパンチを1発浴びせた。怒りに任せた鉄拳と思われたが、のちに長州はこの時点で、すでに起こってしまった“事件”を今後の興行にどうつなげていけるかを考えていた、と語っている。
あの場にいたのは引退した元プロレスラー・長州力ではなく、新日本のマッチメイクを任された現場監督・長州力だった。
佐山は感心したように語る。
「さすがですね。それが興行面での猪木イズムなんですよ。(長州は)それがわかっているし、頭がいい人ですね」
99年1・4東京ドームの橋本VS小川戦は、試合前の注目度は低かったが、試合後はすさまじい話題となり、その後の2度の再戦は、東京ドームを満員にする原動力となった。さらに決着戦である2000年4・7東京ドームを放送した『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!スペシャル』は24パーセントもの瞬間最高視聴率を獲得。
小川はこの一連の橋本戦によって、良くも悪くも時代の寵児となった。だからこそ小川自身が言うように「結果的に大成功だった」ともいえるだろう。







