「いつも浅い話ばかりで、深い会話ができない」「踏み込んだ質問は避けて、当たり障りのない話ばかりしてしまう」上司や部下・同僚、取引先・お客さん、家族・友人との人間関係がうまくいかず「このままでいいのか」と自信を失ったとき、どうすればいいのでしょうか?
世界16カ国で続々刊行され、累計26万部を超えるベストセラーとなった『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』から「人生が変わるコミュニケーションの技術と考え方」を本記事で紹介します。

自分の信念に向き合い、深く掘り下げる
私が関わった最初のソクラテス式議論の一つは、「あなたの子どもへの愛は無条件なものですか?」という質問を中心にしたものだった。
6人が参加し、半数以上が親子の愛は無条件であることに同意した。
そのうちの1人、サラは特に率直な意見を述べた。
「私は2人の子どもを心から愛しています。子どもたちが何をしようと、どんなことが起ころうとも、その愛は変わりません」
別の参加者が、この深い信念について彼女に質問した。
「彼らが何をしても、あなたの愛は変わらないと、どうして確信できるのですか?」
「どうしてって……私にはそれがわかるんです!」
別の参加者が言った。
「あなたの子どもが怒りに任せて人を殺したらどうです? あなたの愛は変わりませんか?」
「ええと……そんなことを言われても」彼女は憤慨して答え始めた。
「どう答えていいのかわかりません」
質問され、異議を唱えられ、時には自分の発言や思考を反省することを求められると、私たちは不安になる。
私たちの発言や意見の背後には、世界観や人間性がある。
一歩下がってそれを見直すように迫られれば、危機感を覚えるのも無理はない。
そのため私たちは反射的に、自分の意見を守ろうとする。
今口にしたばかりの具体的な意見というよりも、その瞬間の自分のアイデンティティ全体を支える、より大きな信念を守ろうとするのだ。
このケースでは、自分の意見に疑問を投げかけられたサラは、質問に答えるのを避け、防御的な反応をした。
彼女には、自分の揺るぎない信念を批判的に見たり、自分にとっての真実を疑ったりする気はなかった。
子どもたちへの愛が、思っていたほど無条件ではないかもしれないという可能性を考えようとしなかった。
しかし哲学の目的は、このような疑問に向き合うことだ。
結局、彼女はこの質問に向き合い、自分の考えを深く掘り下げることになった。
他の参加者が、できる限り穏やかに、再び彼女にこう質問した。
「あなたの子どもが正当な理由もなく、誰かを殺した状況を想像してみましょう。子どもへの愛は変わりませんか? それとも変わりますか?」
彼女は一瞬静かになり、顔をしかめ、居心地が悪そうに椅子に座りなおし、ため息をついて言った。
「正直に言えば、もしそうなったら子どもへの愛は変わると思います。つまり、私の子どもへの愛は無条件ではなく、何らかの条件があるものなのかもしれません」
(本記事は『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』の一部を抜粋・編集したものです)