いつも浅い話ばかりで、深い会話ができない」「踏み込んだ質問は避けて、当たり障りのない話ばかりしてしまう」上司や部下・同僚、取引先・お客さん、家族・友人との人間関係がうまくいかず「このままでいいのか」と自信を失ったとき、どうすればいいのでしょうか?
世界16カ国で続々刊行され、累計26万部を超えるベストセラーとなった『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』から「人生が変わるコミュニケーションの技術と考え方」を本記事で紹介します。

「ご家族が亡くなって、どう思いますか?」と聞けない人は嫌われる。頭のいい人はどう話している?Photo: Adobe Stock

自分の不快感を基準に話題を選ばない

自分自身の不快感や恐怖心も、私たちが特定の質問を飲み込んでしまう理由になる。

出産や死、病気などの人生の大きな出来事を体験すると、それらは辛く、触れたくないテーマになる。だから話題にするのを避け、相手にも質問しなくなってしまう。

身近な人を失ったり、病気を宣告されたりしたばかりのときは、がんや死別などのテーマを取り上げることに抵抗を覚えやすい。

それも無理はない。そのような状況下では、自分の痛みや不快さ、あるいは泣いてしまうことをおそれて、質問をする勇気がなかなか出ないものだ。

約8年前、哲学的な問いの探求を始める前、私はある出来事を通して、おそれから質問を避けることに関する、大きな教訓を学んだ。

当時の私は、調教師兼乗馬インストラクターをしていた。

生徒にキャロラインというかわいい女の子がいて、とても親しくしていた。

彼女は調教されていない美しい牝馬を飼っていた。

私はその馬を調教し、彼女に乗馬を教えた。

毎週のように会っていたが、しばらくして彼女からの連絡が途絶えた。

一夏が過ぎた後、彼女から「2ヵ月前に父親が急死した」というメッセージが届いた。

だから私に連絡ができなかったのだ。

もちろん、私はお悔やみの言葉を贈り、彼女の幸せを祈った。

それでも数週間後に乗馬のセッションで会ったとき、父親のことを尋ねる勇気はなかった。

その話題を口にするのはあまりにも気まずく、居心地が悪いと感じた。

だから私は自分に言い聞かせた─キャロラインは父親のことを尋ねられて悲しみをかき立てられることなく、乗馬に集中したいと思っているはずだ、と。

しばらくして彼女は、私から父親のことを尋ねられなかったのが悲しいと言った。

とても仲良くしていたから、自分の気持ちを伝えたかったのに、私がその話に興味をもっていないように思えたから、と。

その日、私は重要な教訓を学んだ。自分の不快感や辛さを基準にして、相手に質問をするかどうかを決めてはいけないということだ。

(本記事は『QUEST「質問」の哲学――「究極の知性」と「勇敢な思考」をもたらす』の一部を抜粋・編集したものです)