・テレビはみんなが見ている→みんながテレビに出たいと思っている→テレビは特別な存在である→だから多少の無理は許される
という論理構成です。
実際に、テレビはみんなが見ていて、みんなが出たがっている、という時代であれば、ある程度のことは大目に見られていたのかもしれません。しかし、最初の前提である「テレビはみんなが見ている」からして、すでに崩れ始めており、その論理は成り立たなくなっています。
誰もがSNSで情報発信できるようになった今、傍若無人な取材の進め方は、すぐに人々の知るところとなります。「最近はコンプライアンスがうるさくてテレビがつまらなくなった」と言う人もいますが、「昔が異常だっただけ」と言った方が正しいでしょう。
特権意識にまみれたテレビマンが
自らの立場を忘れるケースもある
テレビ人の特権意識に関して言えば、次のようなことも思い出されます。私がまだ社会人になりたてのころだったと思いますが、お昼のニュースが近づいている時間に、工場で火災か何かが発生しているという情報が入りました。
ある先輩記者がすぐに工場に電話をして状況を確認していたのですが、工場の担当者の答えが要領を得なかったのでしょうか、突然その記者は、「あんたじゃダメだから、上司に代わってくれ」と声を荒らげたのです。ニュースの放送時間が近づいているというのに工場内の詳しい状況がわからず、焦っていたのでしょう。その気持ちは理解できます。
しかし、客観的に見ると、テレビ局は取材をお願いする側であり、工場の担当者は取材に協力してくれる側です。その担当者にしてみれば、忙しい中で勝手にテレビ局が電話をかけてきている、という状況であるはずです。工場内でトラブルが起きているのですから、そんな電話は放り出して、現場の対応に当たりたいところでしょう。それを「あんたじゃダメだから、上司に代わってくれ」と怒鳴られたのですから、電話に出ていた担当者にしてみれば、たまったものではありません。
仮にその担当者の受け答えがはっきりせず、その記者がイライラさせられたのだとしても、言い方というものがあります。当時私は、その様子をまじまじと見ながら、「テレビってすごい権力なんだな」と思ったものです。







