社会の“常識”から
逸脱したテレビ業界
また、私が会社を退職した後のことですが、こんなこともありました。私は趣味で撮った映像を動画共有サイトにいくつか上げているのですが、あるとき、民放キー局のディレクターから、「そちらの動画を放送で使わせてもらいたいので、連絡をください」、というメールが来ました。私もテレビ局にいたことがありますから、番組制作の大変さは分かります。そこで「協力いたします。どのような形でお送りしましょうか」と、返信しました。
『テレビが終わる日』(今道琢也、新潮社)
しかし、その後相手からは何の返答もありませんでした。私の想像ですが、おそらく他にもっと良い動画を提供してくれる人が見つかったか、あるいは、企画そのものがなくなったかのどちらかなのでしょう。そういうことは、テレビ業界ではよくある話です。
当時私は、そのディレクターからの連絡がなかったことについて、「どうせ、テレビ局の人は適当な人が多いから」と思い、気にもとめていませんでした。しかし、今改めて考えてみると、これはとても失礼な話です。自分達の方から突然、「連絡をください」と言っておきながら、こちらがわざわざ手間を取って連絡をしてみると、無視を決め込むのですから。
もしかすると私の動画を借りる必要がなくなったのかもしれませんが、それならそれで、「先ほどの動画の件ですが、お借りしなくて済むようになりました」と返信するのが、社会常識というものでしょう。そんなメールを返信するのに1分とかからないはずです。
そういうことさえしないのですから、テレビ局員はどこか傲慢で特権意識がある、といわれても仕方がありません。もちろん、私自身もその一員だったのであり、気づかないところで、取材先に不快な思いをさせた可能性はあります。これは、自戒を込めての話です。







