説明を求められることで
暗黙知を言語化する機会に
以前この連載で、最近の若手は「納得コストが高い」という話をしました。今まではみんなが空気を読み、察してくれるので、敢えて余計な説明をしなくても部下たちが動いてくれていた。ところが若手は指示されたことをただ鵜呑みにするのではなく、理解できるまで問い直す。結果として、ベテランは自分が当たり前だと思ってきた暗黙知を言語化せざるを得なくなります。これは大変重要なことです。
ベテラン社員の頭の中には、膨大な暗黙知が蓄積されていますが、従来のやり方に、仮に違和感があったとしても、忙しかったり、惰性で「流して」いたりして、自分のやり方が正しいかどうかを再検証する機会はありません。若手から「この見積もりの根拠が分からない」「なぜこうしているんですか?」と聞かれることで、初めてその暗黙知を言葉にすることになるわけです。
自分の暗黙知を言語化して、形式知化(表出化)する作業は、内省の絶好の機会でもあります。自分の仕事やキャリアを振り返り、足りないところや、古いところがあれば、学び直すきっかけになります。
もちろん、その都度いちいち噛み砕いて説明しなければならず、鬱陶しいと思う面もあるかもしれませんが、説明せざるを得ないという、貴重な機会をくれる若手は、ベテランには「育て甲斐がある」と映ります(実際には、ベテランも若手からの追及をきっかけに「育ててもらっている」わけですが)。
ただ「反抗的な若手」と
「骨がある若手」の違い
ただし、ただ生意気だったり、反抗的だったりするだけでは、ベテランが若手を可愛がる理由にはなりません。
ベテランから「骨がある」と評価される若手には共通点があります。それは、不満を言ったり、逆らうだけではなく、自分なりに考え、調べられることは調べるなど、手を動かしているということです。そして「これはこうなんじゃないですか」という自分なりの仮説を持ち出します。分からないことをそのままにしていては仮説を立てることはできません。自分の頭を使い、下調べができて、仮説を持っているからこそ、指示に対して、「なぜそうなんですか?」と食い下がれるのです。







